授業再開に抗して


(註・1969年8月7〜8日、大学当局は機動隊の圧倒的暴力を導入して神大の封鎖解除を強行、渦中で松下は物理的な解除が不可能な〈バリケード〉の原基的ヴィジョンをバリケード的表現によって開示した。その後の早急な秩序回復を進める当局の9月1日授業再開に対応して出現するビラ〜掲示表現から、処分者側の「神戸大学教養部広報第30号ー71年10月刊」が取り上げた自主講座実行委員会による「緊急アピール」及び有志学生による呼応表現「自主ストライキ宣言」を以下に書写。)

緊急アピール

 〈授業再開〉の意味を真にとらえるために、数ヶ月の闘争が我々に与えた〈教訓〉を想起しよう。一つは、いかなる〈決定〉に対してもこれが闘争に対してもつ効果を主体的に判断することなしに従ってはならないということである。もう一つはいま自分がここ(例教室、研究室)にいる空間性がだれによっていかなる関係によって規定されているかを明らかにせよということである。この二つの〈教訓〉を具体的にいいかえると、当局のきめた時間割に従って討論すること(授業は論外)自体が〈全学集会〉と同様に闘争圧殺の機をもってしまうことになる。
 ここ数ヶ月間、1日も中断することなく闘争の本質を共有展開する拠点となった〈自主講座〉運動はこれからも連日〈B109〉において参加者全員による実行委員会を開き、場所、テーマを深化拡大していくであろう。
 反革命の逆流に抗して真の人間として生きようとする全ての〈教官〉〈職員〉〈学生〉は〈自主講座〉運動を媒介として自己の闘争を貫徹せよ。
    授業再開粉砕
    創造的バリケードの形成
    闘争が生んだ凡てのテーマの階級的追求
    自己がになうものとして全共闘運動の創出
    闘争圧殺者への永続報復
                                         1969.9.1
                                         自主講座運動実行委員会

自主ストライキ宣言

 12月から8ヶ月余の教養部無期限ストライキ闘争の状況の中にあって、われわれのすべきことは何であったか。それは、最初は外から与えられたものであったその状況を自らの主体獲得の契機とし状況そのものを主体的に把握するものであった。そして、そのことが取りも直さず〈全共闘〉の提起した問題をそっくり担って立つことだったであろう。これが外的存在としての〈全共闘〉を、内的存在としての〈全共闘〉に転化せしめるものであった。
 現実の大学当局の動向は、社会的にみれば、日本帝国主義の東南アジアへの経済進出としてある70年代を制するための国内帝国主義的再編の過程としての大学の再編、その実体としての中教審答申、大学立法を実質的に展開するものである。この再編は日本経済闘争の一環である安保、沖縄闘争を担う〈学生〉に対する弾圧としても存在している。そして又、彼等大学当局の〈正常化=自主解決〉路線は紛争の〈弱点〉、授業ー単位授与ー卒業というレールを基盤としつつ、我々のこの間の闘争を点突破しー、それを放射線状に一挙的に崩壊させるものである。それはもはや、我々の提起した問題をそれとして捉えることの出来ない彼等の学問の腐敗というものを全く認識しない、醜悪極まる路線なのである。
 われわれは、このような認識をふまえた上で自ら主体的に〈生きる〉という人間の本来的欲求でもって、当局の路線をたち切り、更に国家権力の直接的な発動にも屈せず、人間としての〈生〉の追求を行っていかなければならないだろう。このような過程にあっては〈個〉を越えた所での普遍性を獲得することによってまさに〈類〉としての人間性の獲得が要求されるであろう。
 われわれは、単に外に向かってではなく〈自己〉に向けるものとして自主ストライキを宣言する。即ち我々の闘いがラディカルなものとしてあるが故に、この追いつめられている現況を単に受身的に甘受するのではなく、ここから打って出るという積極的なものへの転化する契機として、とらえねばならないだろう。この決断の永続、それに続く実践はまさしく飛躍の契機となりうるだろう。
                                   (文責 2の3クラス闘争委員会)
自らの全責任において署名を。(註・署名はいずれも実名)
    L.20 H・N   P.20 H・O    M.3  K・M
    S.20 M・K    J.20 N・F   L.20  H・S
    A.3  T・N        K・T         S・T
    E.20 S・K    A.3  K・J   J.20  M・I
    J.20 K・H        T・F        S・A
 2日(註・2月2日の松下の情況への発言に対する呼応表現段階)における〈未知への所〉から今はすでに、まさに奪われ圧殺されつつあることの〈暴虐への叫び〉であり、飢えたる者へ、失われているものへの奪還の走駆であらねばならないことを宣言する。
   1969.9.2