正常化=反革命に関するテーゼ


〈空間性〉 きみが今ここにいるのは斗争過程のどのような関係によって規定されているのか。会議や授業のためにここにいるといっても、それが国家権力の手をかりて可能になっていることを忘れるな。

〈決定権〉 斗争の本質を深化させない多数決に従う必要はない。ましてブルジョワ社会を維持するための時間制約から逆算して秩序回復をはかる策動は組織的、戦斗的に粉砕されねばならない。

〈真実の追求〉 授業粉砕は自己目的ではなく、斗争がひきよせる全てのテーマをラディカルに追求する運動が、旧学問、教育体系をつきやぶり、権力や大学機構の運動と対立するのである。

〈拡大方向〉 現在、自主講座運動というかたちをとってB109を中心に展開されている斗争を全学化せよ。たんに空間の拡大でなく、全ての生活時間、全ての拠点へ。その拡大の仕方に大学斗争の拡大の仕方が含まれている。

〈批判の位相〉 出発点の解決だけでなく、斗争の過程がバクロした全ての構成員の階級性をこそ永続的に批判すべきである。これを批判の基礎におかない、いかなる批判も反革命的論理に加担してしまう。

〈共斗とは何か〉 ある主張や行動を支持して斗争することが共斗ではない。自己にとって最も必然的な斗争と、この世界における最も必然的な斗争を結合し、一人でもたたかっていこうとする志向が共斗のはじまりである。

〈表現のむこうへ〉 斗争の期間に、自己の固有の表現を、ビラや落書や……によって提起し、その意味を最後までになおうとする者いがいを信じるな。自分の斗争スローガンを発見するまで、きみは斗争していない。

  一九六九年九月十六日
                                  松下 昇 

(註・8月初旬の封鎖解除〜9月初頭の授業再開〜と続く問題提起封殺の権力空間に本質的な問いとして存在し続けようとする自主講座運動は、避けようもなくより過酷な前線へと押し出されていく。松下に関する処分調査委員会の資料の一つとされた表現)