◎裁判を一つの比喩として
展開されつつある闘争に関するレジュメ
この名付けがたい闘争の特性について。一つの日付けをもたず、数ヶ月に及ぶ時間帯に拡がっている闘争であること。権力が恣意的に拾い上げた日付けに、権力が恣意的に決定した被告たちが分散して配置されていること。(9・1授業粉砕…‥松下。11・8試験粉砕…‥橋本。12・3教授会粉砕…‥樫木、森川、松下。4・8ロックアウト体制粉砕…‥上野、森川、松下。)
ここには69年9月以降の正常化=反革命過程にかかわった連続闘争の時間性、最もよく闘争を支えた人たちの主体性が疎外されてしまっている。従って何よりもまず権力による日付け、被告の決定にみられる恣意性を粉砕しなければならない。それはもちろん、裁判闘争の場そのものの止揚と裁判闘争にかかわる全ての人間たちの徹底的な総括、相互批判を必要条件とする。私は五人の被告団に対して、六番目の不可視の被告を仮構し、裁判闘争をふくむ全ての闘争、生活過程を支えようと思う。この方向に関する共闘の度合いが、被告団の統一性である。
外見的には他の裁判にくらべて罪状は軽いけれども、その軽さと裁判闘争が包囲する問題の重さは、極めて大きい落差を示している。先にのべたことの他に把握しておくべきことは、七十年代レッド・パージの一環としておこなわれようとしていると同時に、大学という幻想的空間における問題(授業、試験、会議などに対する各人の存在の原罪性)を媒介として、大学闘争全体の総括がなされようとしていること。同時に、裁判闘争全体の総括も。そして、各人が自覚しようとしまいと、この情況における各人の表現の根拠そのものが問われているのだ。(被告のみならず、弁護人、裁判官、検事、証人、傍聴人、無関心者……も)
いうまでもなく、裁判闘争は現実過程における闘争にくらべて、それ自体では闘争たりえない、幻想領域でのしいられた総括である。しかし、それゆえに価値はゼロとはならず、その現実過程からの抽象度を正確に把握する方法による現実止揚の運動と、たんに権力からしいられているのでなく、生活、存在、情念、戦後史、言語過程などの一瞬一瞬の本質から総括をしいられているのであるという自覚を対象化するならば、この裁判闘争の名付けがたさを、与えられた、困惑の表情でうけとめる必要はなくなり、未踏の領域へのエネルギー源として飛躍させることができるであろう。
緊急の課題として、封鎖解除の直前に六甲解放区闘争を展開した8・7被告団に対して、70・7・17に神戸地裁が示した弾圧(被告団の統一性の逆用)の意味を十分とらえかえし、たんなる戦術的・感性的対応をこえる反撃をつくりだしていかなければならない。あらゆるものから孤立した人間として、国家の表現と岐立しうる表現をつくりだしていかない限り、いままで、ほんとうに闘争してきた、生きてきた、といい切ることはできないのだから。
一九七〇年七月三一日
松下昇
◎掲載された文書についての註記
起訴状(「あんかるわ」25号に〈国家の作品〉として掲載)以後の数週間、私はビラをかいていなかったが、私のさまざまな領域をおおう名付けがたい困難さをたしかめるために、「裁判を一つの比喩として展開されつつある闘争に関するレジュメ」を感光紙にかいた。その手ざわりや、コピーの装置の回転音や、代金のことをぼんやりと思いおこしながら、コピーを終って坂道を降り、家の前までくると、多数の教職員に護衛された評議会代表が待機しており、処分に関する審査説明書(起訴状と同じようにコピーされたもの)を手渡し、反論の機会が与えられている、と告げて立ち去った。私は、文書のコピーという方法を私と逆の方向から行使するものたちを見送りつつ、私の敵たちの重層的な結合関係が、あらためてたしかめられるのを感じていた。起訴状に引き続いて説明書や私のレジュメなどを掲載する理由の一つはここにある。
起訴状と説明書は私に対する憎悪を秘めている点では共通しているけれども、統一性をもって展開されている私の表現活動に対する記述が、それぞれの文書において、ことなった構成、文体をもっているのは次のことを暗示しているように思われる。即ち、それぞれの文書にある言葉は、私の前に現われるまでに、それぞれの文書を生みだす世界の根拠にある腐敗、ギマンをいわば私によって総括させられていること。さらに、それぞれの記述者が、その意味を独占しているかのようにみえる過去形の事実などはどこにもなく、私たちが、かれらの言葉の存在基盤を粉砕していく過程において、少しずつ自分でも気付かなかったような意味が開示され、事実性としての完成にむかうであろうということを。
私の処分過程を契機として、権力によって、言葉の真の生命が圧殺されていく情況が、大学という幻想性空間で最も明白に暴露されたのだと私はとらえている。
平均的な労働者の解雇処分の過程にくらべて私の場合の進行の緩やかさと複雑さは、私が大学というある意味で特権的な場の労働者であることからきているであろう。しかし、別の意味でいうならば、大学でおこなわれる闘争は、言語発生以来の全ての課題を問いなおしつつ展開せざるをえない本質をもっており、たんなる階級闘争論や党派政治の水準に還元されてはならないと思う。
これは私の闘争や処分過程の対社会的な特殊性を意味するのではなく、その逆である。私を処分する動きは、大学闘争、表現運動の成果ないし新しい質を総体的に圧殺しなければ生きのびられない権力者たち、およびかれらを支える現実構造の必然にもとずいており、全ての人が、私と同じように幻想性を含む全存在過程を圧殺されていく怖るべき情況に突入していくことの予兆であろう。
評議会は、たしかに、法律に保障されている陳述の機会を与えてきた。いや、合法性をよそおうために、与えざるを得なかった。但し、裁判制度にすら認められている弁護人、証人、傍聴人を排除し、一回だけ、形式的に機会を与えようとした。——説明書に記載されてある事実の有無についてのみ陳述せよ。討論はしない。議長の指示に服従せよ。学生が乱入しないように説得せよ。——かれらは、私が、評議会の何重にも強圧的な陳述条件に腹を立てて出頭しないことを望んでいたし、かりに出頭しても、事実から離れた抽象論を激烈に語るだけであろうと予測していた。そして、夏休みの間に公表する処分決定の説明書に、「事実についての反論はなかった。」とか、「自ら陳述の権利を放棄した。」という文章を付け加えることまで予定していた。さらに、大学当局と密接に連絡している権力は、私が、もし、事実について反論すれば、裁判の過程で私の罪状を質量ともに増加しようとねらっていた。いくらか抒情をこめていえば、権力が悪夢のように怖れる全共闘が可視的には崩壊している日々に、風のような〈 〉だけが私の武器であった。
おそらく、あと数日で評議会は処分の最終決定をし、私は大学から排除されるであろうが、私の「〈八月〉闘争の〈事実性〉」の記述のむこうに、かいまみられる問題、例えば
権力による、時=空間支配への挑戦、(八月二十日〜二十一日。これは、五月の闘争と響き合っている。)
事実性論によって評議会に口頭陳述の続行(八月二十一日〜三十一日)と、九月末までの奇妙な沈黙をしいたこと、
十月以降の裁判闘争との関係が深いところで明らかになりつつあること、
などはこれからの私の名付けがたい闘争においても応用可能であり、燃え立つ希望である。
むしろ、私を本質的に苦しめるのは、なぜ私は、さまざまの既成表現形態(コピーとか転載とか記号とかの位相だけでなく、組織、情念、生活などの位相をふくめて)と、すれちがったり、衝突したり、それからはみだしたりするのか、という問いである。また、それと枝立して訪れてくるのは、起訴状や説明書に直接かかわっているもの以上に私を圧殺してくるさまざまの不可視の力を、どのように総体的にとらえ、報復を果していくかという問いである。可視的な敵たちが、たえず私の判断や行動を迫っているときにも、これらの問いがつきまとっていた。
これらの問いをつくりだしている世界の根拠へ突入していくのが、私の最大の課題であり、私たちすべての課題にしていくことが必要であるが、権力の手によって私のビラ、掲示、書簡などを編集せしめた資料集が配布され、処分や断罪の根拠に利用されている現在、私の手から放たれた数片のコピー文書が「あんかるわ」のページに着地することの意味は一層大きくなる。
もちろん、本当に着地し花開くためには、私がこの一年半、作品や論文らしきものをかかず、ビラやコピー文書を転載しているという事実性のむこうに拡がる遠い夢のような関係を十分に対象化することで、北川氏の要望(二十五号後記)にこたえることが必要であるけれども、さまざまな制約と私の非力によって、それは果されていない。
しかし、今かいている註記それ自体は、直接「あんかるわ」にあてられており、コピー文書の転載ではない。
そして、この註記が、北川氏を含む「あんかるわ」読者の要望する位相には遠いとしても、その遠さの中に、私たちが永続的に追求すべき課題が存在していることだけは註記しておきたい。
一九七〇年九月三〇日
松下昇
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