軌跡への 遡行74年11月16日 松 下 昇 氏一九七三年度のEVEに参加した契機、そこで提起した問題(群)が、一九七四年度のEVEにいたる過程で、どのように持続し、変化しているか、をとらえてみたい。そのために、まず、参加者に報吿しておきたいのは、昨年のEVE実行委員会のパンフレット「本当の事を云おうか……」と、EVEにおける発言を掲載した「学術団論集」No.4が、昭和四六年ワ第五四四号研究室使用妨害排除事件(原吿=国告、被告=松下昇)の公判(神戸地裁第六民事部)に、それぞれ、被告側の書証として提出されていることである。その意味の全てを語ることは不可能であるとしても、この領域から、私が、この数年間に試みてきた諸テーマの構造をかいまみることが、私にとっても必要な段階にある。 同時に、本年度のEVEへの参加を、本年四月から京大教養部の時間割を占拠しておこなっている自主ゼミの原則(註0・学内で公的に配布された講習案内の一部を引用するので、参照して下さい。)の応用として位置づけているということも強調しておく。 (註0。) ドイツ語を契機として、参加者が教材やテーマを持ち込むとともに、学外からの問題提起や発言も積極的にとりあげ、大学闘争の過程で出てきたさまざまな問題(たとえば単位制など)を考えながら、次のような原則でおこなう。 (1)公開。 (2)参加者の自由な討論ですべてを決定する。 (3)このゼミで討論され、考察の対象となった事柄は、参加者が各人の責任において、以後あらゆる場で展開していく。 司会者からいわれましたように、昨年のEVEで語った内容がパンフレットになっているので、できれば、それを参照しな聞いていただきたいと思います。昨年にもいいましたが、一回ごと、一年ごとに断絶する問題提起ではなく、それが持続していく、きっかけをつくり出したいということが、私にとっては重要な意味を持っており、今年は、昨年提起した問題が、現在までどのように持続し、新しい問題にぶつかっているかということを重層的に語ってみたいと思います。 いま皆さんがお持ちの一九七四・七・一付で発行された「学術団論集」No.4の内容を語ったのは、昨年の十一月十三日ですけれども、その後、現在に至るまでの私の公判におけるこのパンフレッ卜そのものの運動過程についても、同時にのベておいたほうがいいと思います。私は、このパンフレットを二部、私を被告とする裁判の被吿側の証拠資料として提出しました。その事件は、昭和四十六年に起きた研究室使用妨害排除事件というものです。それは、私を、昭和四十五年に懲戒免職処分にしたから、それ以後使用してはいけない、ということを内容にして、国側が提起した裁判です。私の方は、これを、バリケード空間を排除する最後の手続きというふうにとらえ返して逆用しながら、現在なお問題提起を続けています。 そういうモチーフがパンフレット提出と併合され、昨年のEVEで語ったことが、EVEの参加者や、そのパンフレットの作成にかかわった全ての人を包括しつつ、不可分のかかわりを、すでに持ち始めているし、現在まで続いていることを報告しておきたいと思います。 ついでにいいますと、裁判所でこのパンフレットを提出した場合、その文書の成立を認めるかどうかということが問題になりました。それは、相手側、国側の代理人である検察官が、この文書を審理の対象とする証拠の価値があるかどうかを判断するのですが、その場合、題名が奇妙に役立ったわけで、表紙だけみて、これは学術論文らしいからいいでしょうという形で、フリーパスしているということを、ちょっとつけ加えておきます。(笑) 私がこのパンフレットを提起した切実な意味の一つは、六ぺージの下の段に記されてあることに関連しますが、ここで、より基礎的な位相から問題をとらえかえしてみますと、四年前のクリスマスイブに私たちに対する刑事裁判が始まり、そのときに提起したのは仮装被告(団)という問題で、つまり闘争に参加した人たちのあるものが起訴され、あるものが起訴されない、そういった権力の恣意性をわれわれの側から突破する試みとして、仮装被告というイメージを、どのように展開するかということでした。その追求は、現在までさまざまのかたちで続いていますが、仮装被告の問題が、数年間の裁判過程を経て、仮装証言という問題に深化しているということが一つあるわけです。冒頭手続の段階から具体的な証言過程、その闘争の事実性の把握という問題になってきた場合、その当時、一緒にやっていた人たちも生活や思想の面できわめて遠くまで行ってしまう、という問題を把握し転倒するためにも、仮装証言ということが一つの試みとして、でてきているわけです。 その背後にはおそらく、〝発語は他者性の契機をいかにもち得るか〟という、このEVEの全体的なモチーフとも重なってくる問題があるように思います。そういった問題を、法廷なりあるいは権力の抑圧というものを逆用しながらもう一度再検討していくそういう試みとしてもいまのベてきた問題があるということです。 この問題にかかわる、ある巨大な試みが、昨年以来、運動を開始しており、今年も、あと数日後に、その具体的なプランが実行にうつされる可能性があります。その意味は、たんに法廷の位相に限らず、その準備過程をふくめて、はかりしれないほどの深い重層性と応用範囲をもってくるでしょう。(註1) 続いて、EVEへの私のかかわりのもう一つの契機をのべると、私は、今年度のEVEへの参加を本年四月から京大教養部の時間割りを占拠して行なっている自主ゼミの応用として位着づけているということも強調しておきます。これは、いままでのベてきた問題点をEVEならEVE、あるいは裁判闘争との関連という位着づけでとらえるだけでなしに、大学の具体的な時間割りを、こらら側で最大限に応用しながら、大学闘争のすべての問題点を再検討していく場としても設定したいからです。 大学当局の配布した履習案内の一部を読んでみますと、「ドイツ語を契機として、参加者が教材やテーマを持ち込むとともに、学外からの問題提起や発言も積極的に取り上げ、大学闘争の過程で出てきたさまざまの問題、たとえば単位制などを考えながら、次のような原則で行なう。①公開。②参加者の自由な討論で、すべてを決定する。③このゼミで討論され、考察の対象となったことがらは参加者が、各人の責任において、以後、あらゆる場で展開していく。」 これについて幾つか補足説明をしますと、私自身は、神戸大学において自主講座を開始し、バリケードの中で自主講座を続行し、バリケードが解除されたあとも教室や研究室でそれを続行してきました。その過程で、懲戒免職処分とか起訴とかいう問題に直面して現在に至っているわけです。自主講座の開始の契機からして、闘争の現場である神戸大学における教室なり研究室なりで開始し、続行するという過程があります。さらに、それらが裁判闘争になつた場合の法廷への拡大という問題は、先ほど来からのべてきたことにも投影されています。と同時に、数年前の問題を経験としてもほとんど知らない人たちが、膨大に存在するわけですから、全ての大学闘争の共通のテーマについてその人たちと出会う道をどのようにして見つけるのか、という過程でいま作り出しているのが他者性への契機としてもある自主ゼミの構想で、たとえば、京都大学の教養部においては学生が学外から非常勤の講師を呼ぶことができます。そういう制度を、何とか逆用できないだろうかということで、四月から、これは私の固有名詞を出すと大学当局者が、時間割り作成の段階で許可しない可能性がありますので、ここでは他の担当者の名前で仮装したわけです。そして、その仮装した人の名前で一応、時間割りを取っておいて、このパンフレットに掲げた原則を参加予定者で作成し、大学側の文書に掲載させたわけです。それによって、逆に、この原則通りにやることを大学側は拒否できなくなっているという問題があります。 たとえば公開といっている以上、だれが、どのような参加のしかたをしてもいいわけですし、実際、さまざまの領域の問題、闘争の経過を報告する人たちとか、解決が困難な問題をもちこんでくる人たちとかがあり、九月の末には、保釈取り消しで収監された人に、自主ゼミの〈試験〉を受けさせようという計画も出されたのです。つまり、拘置所から大学の教室まで出かけていきたいから、一時執行停止を要請するといった形で追求し、実際に教官の名前、あるいは、教養部長の名前で拘置所や裁判所に文書を提出して、学外の参加者が〈試験〉を受けられるようにする。〈試験〉というのは、いわゆる一般の試験と正反対の非常に楽しい〈試験〉ですけれども、そういう試みも可能になっているということです。今回は、残念ながら、最終的に実現するまでに至りませんでしたが、それから、たとえば単位制度との関連が中心的な問題になってきており、討論して終わるというだけでなしに、具体的な単位制度をどのように解体していくのかを追求しています。その際、ある媒介的な発想が紹介に値すると思うので、かんたんにのべてみます。 学外者に公開という場合、学外者は、いまの制度の中で単位はとれない。この距離を本質的にとらえなおして、いまの制度では単位を出すべきでないと考える人(学内外をとわず、また学生に限らず)は単位と同位の関係性にある、と一応とらえうる非常勤講師手当を入手する資格をもつのではないか、ということです。乞食風にいえば、大学というところは、単位かお金をめぐんでもらうところにすぎない、のかもしれませんから。(笑) いまのところ、単位にせよ、お金にせよ、量的には微々たるものにみえますけれども、その関係性のとらえ方いかんによっては、大学闘争の最重要なテーマとして出現しうるでしょう。それに関連するいくつかのイメージを断片的にのべてみると、たとえば、大学闘争のバリケードは、単に、国家権力や反対派によって解除されたのではなくて、単位制度を一つの比喩とする、私たちを内部から拘束する関係性からも解除されたのだ、ということ。また、私についていうと、いまの自主ゼミの試みを、〈 〉闘争との関連でもとらえているということ、それによって、生活し、闘争し、それぞれから、はみ出すテーマをすべて包括していけるものとしての。そして、〈 〉の不確定性自体が、この数年、ある情況的意味をもち続けているように、自主ゼミという名称、それにこめられた位相を、できるだけ自在に応用していく必要があるだろうと思います。すでに、被拘束者の一時執行停止要求とか、押収品の返還要求などの主体に、自主ゼミが仮装していく試みの中に、それは暗示されていますが、くわしいことは、あとでまた語ります。 単位制度をどのように解体していくのかをもう一度、考えてみると、基本的には、担当者ひとりに単位認定権を独占させるのではなくて、参加者が全員それをもつとしたら、どうなるか。しかも、単に一週間の一コマのその時間についてだけ問題にするのではなくて、この原則の③にありますように、このゼミで、討論され考察の対象となったことがらを以後あらゆる場で展開していくということですが、そういう方向で行なっていけばどうなるか、そういったこともこの年末から来年の初めにかけて、参加者の生活・闘争過程や大学機構総体にかかわる問題として,出現していくであろうと思います。(註2) 以上、もう一度まとめてみますと、昨年来の問題点の経過の報告及び提起が、同時に、今年から展開している自主ゼミの応用としてもあるということをのべて、さまざまの質問とか問題提起がありましたら、それに対応して、また意見をのべたいと思います。 まつした・のぼる・表現者 註1 一九七四年十一月ニ十五日の〈研究室〉公判に出現した〈森川佳津子〉は、ある方法で以前に入手・作成された〈宣誓書〉を提出し、退廷したのち再入廷してくる参加者たちの足どりに対応した〈朗読〉のあとで、〈証言〉を開始した。その速記録の閲覧・コピーを希望する人は、いま、その速記録をふくむ全公判調書をもっている{森川佳津子}に問い合せて下さい。また、その次回公判一九七五年三月十一日には、証人は可視的には出廷しなかったが、〈証言〉の本格的展開を示す{証言書}が〈証人〉の筆跡によって提出された。前記のニつの日付けによって提起されている〈証言〉~{証言書}に対して、原告側が何一つ反対尋問をなしえていない以上、原告は訴を撤回したのと同然であるが……にもかかわらず、一九七五年九月三十日に強行されようとした判決は、私たちの{ }申立てにより十一月ニ十日現在宙吊り状態にある。 註2 昭和五十年三月ニ十日、京大教養部教授会は、{松下昇~未宇}を、自主ゼミ担当の非常勤講師として採用する案を、 賛成三十四、反対十五、保留六十五で 〈否決 〉 した。 昭和五十年度の自主ゼミを、昭和四十九年度に提起された、さまざまの問題を生かす方向で持続させることに 〈異和 〉 を示したのは、たんに、教授会の多数派だけではないが、その重要な意味を、私たちは、昭和五十年度にも、教養部ニ十四番教室でおこなっている毎週火曜、午後一時からの仮装的〈自主ゼミ〉(担当者は、一応、専任教官)で対象化しつつ、今後の飛躍を準備している。 |