註・1973年6月、指名手配中の京大助手・竹本信弘(ペンネーム滝田修)の潜伏に関係しているとの容疑で、松下の自宅を含む全国の大学闘争関係者の拠点等一斉家宅捜索を受けた。この搜索に対する抗議集会における発言である。「序章」別冊「こんなことは許さないゾの集会」パンフ(73年7月)から書写、原文は縦書き。

報吿・松下 昇

   ー 権力の〈暗示〉に反撃する方法を ー

 今回の事件というものを、ほぼ三つぐらいの問題点からみていきたいと考えています。その問題点は、大学闘争以来の、あるいはそれを越えていく〈  〉闘争とでもいうべきものの問題点でもあります。
 まず、表現過程ということから考えていきますと、これは間接に聞いたことですが、何人かの人たちから送られた評議会あての文書にはいくつもフシギな記号がついており、評議会ではその意味がよくわからないから省いて読むことにしたようです。評議会にかぎらず、権力総体がこの数年間、得体の知れない表現に非常に苛立っており、今回の事件を契機として、そのような得体の知れない表現を用いる人間や問題をリスト・アップし、捜索しはじめている、というふうにもいえると思います。そういった一見記号というものを媒介として現われている私たちと権力との抗争は、今まで権力にとって確定していると思われた人間や問題がどこかで不確定になりはじめている、そういった情況の比喩ではないかと思います。竹本氏が権力に迫われるという形で潜伏しているとしても、それ以外にも様々な理由で様々な領域に潜伏している人達がこの現実過程の中に充満しているわけです。このような人達の象徴として〈竹本〉問題があるだろう、という事がまず最初の指摘です。今人間についていった事は、当然その他の対象に置き換えていいわけで、評議会なり警察当局が必死に追いかけている委任状といわれている文書もそうだと思います。つまり評議会なり警察当局は、委任状が、いまどこにあるか、ということに関心を集中しており、とりわけ警察当局は委任状なるものを捜しだすことによって竹本逮捕の手掛りを得ようとして日本中を捜し回っているわけですが、先程いいました様に,個別的な人間や紙片が追求されていると同時に、宙吊りになっている表現、あるいは〈 〉は、いまどこにあるのかという問題を、権力総体が追求しはじめている、その一環として今回の問題がある様に思います。
 第二に、空間性ということからとらえてみると、全国的におこなわれた捜索の令状には、犯人隠秘の被疑者として私の名前が冒頭にかかげられており、私のまだ行ったことのない場所にまで私の名前を仮装する令状が出かけているという現象がみられますが、そういう可視的な意味を越えてもう少し展開してみますと、今度の事件にかかわる空間性の質の様なものが、私たちよりも先に権力によって、無意識のうちに、統一され、提示されていると思います。まず具体的に私自身に対する家宅捜索の特徴を語りますと、私の家は神戸大学のそばにあって、大学闘争のバリケードが形成されていた頃は何度も機動隊の車が並んでいたから、六月二十日の朝も附近の人は、また神戸大学で何かはじまったのかと最初は思ったらしいのです。ところがどうも様子がおかしくて、完全武装の機動隊が次々と到着して、それから危険だから避難してほしいという勧吿が出されて、これは浅間山荘の再来かと附近の住民が騒いだのです。そういう形で、大学闘争のバリケードや浅間山荘といったふうな空間性を、私の住居を中心にして、幻想の領域ではあるにしても、結合させざるをえない権力の苛立ちがかいまみられたのです。また私はいくつも裁判をかかえているのですが、ちょうどその直前に、闘争や表現の空間性に関する多くの問題をはらむ研究室公判といわれているものの判決が下りて、ちょうど、それに対する控訴の申し立て期間中でした。その控訴申し立て理由書を準備する資料もかなり持ち去られたり散逸したりしたので、私としては、さまざまの空間で押収された文書を含むすべての資料を控訴申し立て理由の不可欠の内容とする、という方向で裁判所に申立理由書を提出しています。
 それから捜索をうけた場所の今日出席しておられない人達からいくつかの報告を委託されているので、第二の問題点との関連でのべてみます。
 東京で捜索をうけた菅谷規矩雄氏の場合、かれは、六九年から解放学校の運動を続け、三里塚闘争にもかかわり、昨年の六月十五日に、授業拒否を理由の一つにして懲戒免職処分になったのですが、かれが、今回の〈竹本〉処分を契機とする闘争に関して私あてに五月末に出した書簡が、この闘争の位置をかれの拠点から正確に照射しているので、一部を引用してみます(註ーこの部分は後から補足した)。「……竹本信弘から滝田修を捨象することは可能でしょうーー処分じたいがその方法をとっているわけですし、処分に反対するがわにもこの方法が主としてとられているようにみえます。ところで、では、滝田修から竹本信弘を抽象{抽出)することは可能かーーという自問がのこります。」この自問に対して、かれは「はんぶんまでは否とこたえてきた」と考え、しかし、「はんぶんまで」しかこたえていない意味を、かれ(ら)のかかえている困難な無言の格闘の中でとらえようとしています。そして、そのためにかれ自身は、〈竹本〉氏に仮装するというかたちでの私たちの対評議会の闘争に直接には参加しなかったのですが、しかし、前記の書簡のコピーが六月二十日に他の場所で押収され、それが、かれを六月二八日の捜索対象とする理由の一つにしたこと(それ自体は、権カのこっけいな事実性認識の水準をバクロするものですが)は、私たちに十分視えていなかった〈竹本⇄滝田〉の交換{不}可能性の問題を、かれを含む私たちの闘争領域へ出現させたという点において、やはり、深いところでの共闘であり、参加であると考えています。
 それから愛知県の磯貝満氏(ペンネームは北川透)の住居では、極めてユニークな(?!)押収がなされました。例えば、六月二十日に権力が私の家で押収したものの目録をコピーして私がかれに送り、それが六月二八日にかれの住居で押収されるという重層した過程があります。この過程はさらにくり返されうるわけで、今、皆さんがよんでおられる押収されたもののリストも押収されうるわけです。(笑)いわば、無限にくりかえされうる自同律を権力が演じてくれたことになります。また、『あんかるわ』三十号が押収されているのは、北川氏がそこで〈六甲〉の私たちや名古屋の南山大学の人たちを含む仮装被告団が直面している巨大な問題を、かれの自己組織論の立場から提起している文章がのせてあり、権力が、ある水準でそれを同時に捜索しているためであろうと考えられます。これらのことを含めて、今回の 〈竹本〉 処分を契機とする権力の弹圧というものが、教官処分という面をはるかに突破して、大字闘争以後の問題を何かのかたちで必然的に追求している人たち総体の問題に連続していくと私は考えています。
 さっきのベた南山大字関係では構内と、下宿、アパ―ト数ヶ所も捜索され、私の表現集や、神戸大学教養部広報などが押収されました。私との接触をいましめる公示を出した大学当局は何らかの弾圧を重層させてくることが想定されます(註――七月十八日に、南山大学当局は、搜索をうけた学生二名を含む五名に対して、立入禁止区域への侵入などを理由に退学処分などの動きを開始している)。
 六月二九日には福井大学の生協事務室などが捜索され、これは間接に聞いたところでは私が行った場所のうち、裏日本がないかと権力が調査して、自分では力ンのよいつもりで搜索したようです。岡山救援センターに対する捜索につけてもいえるでしょうが、権力の介入がかえって、運動をになっている人たちによってことなった領域から運動をとらえかえすバネに転化しうると期待しています。
 今まで、いくつかの場所の捜索の経過を、押収されたものとの関連でのベてきましたが、これは、第三に提起したい問題点とかかわりがあります。まだ入手していない、いくつかの押収目録があり、その意味を大切にしたいと思いますが、当面、いま配布されているもののリストを手がかりにして、関係のある全ての人たちにとっての、この事件のゆたかな意味を私なりの方法でとらえてみます。ここにある押収リストをみると、そこに権カのひとつの構造がみえてくるような気がするわけです。彼らは総体として国家権力であるけれども、それが個々の機能を果すときには具体的な人間として機能せざるをえない。つまり、かれらは権力機構の一員として仕事はしていてもその地方性・風土の中で把握している今回の問題或は情況総体に規定されながら、自分からみた竹本問題或は〈 〉問題に必要な事実性を追跡しており、かれらのそういった一人一人の把握の仕方が押収目録にも明確に示されているわけで、これを総体として把握する事は我々にとって楽しい作業であり、この総体がいわば自主講座運動の素材である、というふうにいってもいいでしょうし、或は捜索を受けたすべての場所が私達がこれから活動していく最小限の拠点になっている事を、権力が提起してくれた、ともいえるでしょう。
 次に、現在目前に迫っている問題について触れておきますと、今迄何人の方からもいわれました様に、京都大学の評議会が保管する文書が差押えられたということは数日前までわからなかったのです(註―その後、神戸地裁あての〈竹本〉氏からの文書が六月二八日に差押えられていることが判明し、差押え場所と対象は、さらに虚数的に増加しつつある)。ところが、今回の問題に関係があるとされている多数の文書がすべてが押収されているにもかかわらず京都大学当局はそんな事を全く伏せたままで、七月五日付で私に対して公文書を送ってきたのですが、そこには竹本氏からの委任状を七月一六日迄に提出せよ、提出すれば代理人として認めるが、提出しなければ認めないということを、審査そのものを打切るという発想を含めて通吿をしてきています。ここには何重もの偽瞞があるわけで、私は六月三日付の文書で、〈竹本〉氏からの委任状に相当する表現を同封して提出しています。ところが、直接評議会が開封できないような構造になっていて、〈私〉か〈私〉の委任状を持った代理人ーーこれは複数可能ですーーが評議会に出席し、その立合いの上で開封するという条件を付けています。もしこれをそのまま認めてしまうと、評議会は解体してしまうわけです。というのは私の出した委任状を持った無数の人間はだれでも評議会に出席できるわけですから。ところが評議会はたて前としてブルジョア法に規制されていますから、郵便に関する法律とか私法上の権利とか、そんなものをゴタゴタ検討した挙句、発信人が付けた条件をいきなり破るわけにはいかない。評議員として密封された文書を破ってみるわけにはいかない。そこで評議会以外の誰れかがその文書を開封してみる口実を作らなければならなくなったのです。それが警察に、どういう経路で伝わったのかは判りませんけれども、結果的にいえることは、評議会が処分過程で自分のなしえない不可欠の作業を、囯家権力総体に委託したという関係だと思います。つまり大学当局は全ての処分過程の文書を譲り渡して、その過程で処分を完了し、一方、警察当局は竹本氏を含む様々な人間を刑事事件の被疑者とし捕縛し、それで過激派とみなしている人達総体の弾圧を増々進行させる。そういう目論見があったろうと思います.
 以上の問題を含めて今回の事件についていえることは、今迄ほぼ三点にわたって述べてきた事が示しているように、たんなる処分粉砕闘争に対する単なる弾圧というふうには捉えきれません。権力の介入は最初から予期していたわけですし、いわばそういった問題を転倒して、単なる京都大学における処分問題としてではなく、私達それぞれがこの数年間或はそれ以上の年月にわたって抱えてきた問題をどのように把握し、どのように具体的に展開していくか、その不可欠の媒介項として、今回の〈竹本〉問題を応用してきたのです。また大学当局の処分策動は重層的な壁に包囲されつつあり、警察当局の方針は完全に混乱し、行きづまってしまいましたから、私たちは決して被害や弹圧を蒙ったとは思っていません。従って今日出席したのも〝どんなささいな弾圧も見逃さない〟というテ―マを〝権力によるどんなささいな〈暗示〉も見逃さないで反撃する〟というように飛翔させるためであって,今日何かの必然性からここに集ってくる一人一人を通じて、私の問題がどこかで交差してくれれば、それでいいと思ってきたわけです。それは同時に事件以来ビラらしきものをかくことのできなかった私の諸条件を止揚していく試みのーつでもあります。そして先程の発言にもありましたように、我々捜索を受けた人間が報告することよりもむしろ、今後無数にその空間を拡大するであろう捜索を受ける場所、或は〈竹本〉氏との関係を提起する人の抱えている問題を聞きたいというか把握したい、という希望を述べて発言を終ります。

ーまとめ・松下 昇ー

   非存在をめぐる闘争

 幾つかいいたい事のうち、特に二つ上げますと、まずこの集会の契機でもある〈竹本〉問題というものが、今回の事件以来違った方向を持つだろうという予感がします。そのひとつの徴候は、竹本信弘ないしは滝田修という存在をどう把握するか、それを支持するにしろ批判するにしろ、彼の書いたもの或は彼について書かれたもの、つまり活字の水準で支持したり批判したりという評価が主要な領域であったと思うのですが、今回の事件以後そういう水準が突破されているという徴候があり、その水準以後の何かが始まるだろう、否、始まらなければならない、という事です。
 それから、先程私は報告の中でものべましたが〈竹本〉問題というものの核心のひとつは非存在だということだと思います。存在しないことが処分理由になる、という非常に本質的な問題が提起されているわけで、そのことは、私や岡山大の坂本さん、徳島大の山本さんなどが、いろいろな闘争過程の段階でどうしても権力と対峠する関係で非存在を強いられ、また逆用してきたそういう我々の方法が、今度の場合竹本氏の非存在そのものが処分埋由にされるという形で、逆に権力の方法として提起されてくる問題としてもあるわけです。しかもやがて明らかになっていくであろう、いくつかの〈竹本〉問題と岐立する諸問題と結合して出現しつつあります。だから、テーマとしては非常に、豊かなものが視えはじめているし、もっとたくさんの人と一緒に運動させていきたい、と思います。