註・この会話は人事院に処分の審査請求を提起した1970年11月16日、六甲山系に突き出た巨岩「油こぶし」から神戸大教養部構内にかけて詩人の佐々木幹郎と交わしたものである。同年12月7日発行の「日本読書新聞1574号」に掲載された記事のコピーを、松下昇気付批評集刊行委員会が〜1988年9月〜の「松下昇発言集〈 〉版」に収録している。(記事は縦書き)

「日本読書新聞1574号」

反風土の蒼貌 1    無名空間の思想家像

 60年代後半から70年にかけての情況の転位のなかで、〈60年代思想〉の質が問われ、いま新たに〈70年代思想〉なるものが巷間に流布している。だが様々な情勢論の縮図からこぼれおちてきた無名の空間を透視することなく情況の核心を撃つことは不可能である。

〈沈黙〉が包囲する情況  【松下 昇 ― 佐々木幹郎】

風景交換・抒情から出発・・・・・・襲っていた不安自身を直裁に追いつめ

 〈六甲〉アブラコブシ、その日本前史時代に岬であったという、現在は山から海へ向かって突き出た岩の上で対談ははじまった。〈六甲〉の地図と〈毛馬〉の地図を交換し透視しようとする試みは、アブラコブシへ登ってきて対談者たちが〈発言〉しているとき海が〈沈黙〉して聞いており、〈沈黙〉しているときは海からの声を聞いている、という関係のなかで浮かびあがってきたといえる。晩秋、この日の朝〈六甲〉山頂付近に霧氷の花が咲いた。

【佐々木】 ここへ来られたのは何年ですか。
【松 下】 六十三年です。〈六甲〉を構想し書いたのもこのあたりです。
 登山コースがこの丘の向う側を通っているので、誰もこの岩に気がつかないのです。そのうえこの岩はすぐ下から見ないとその意味がわからないという性質があるから余程の登山通でもこの岩は知らないですね。
【佐々木】 ここから町や海を見ますと神戸湾がきれいに弯曲しているのがわかりますね。
【松 下】 弯曲という概念もこの辺にきますとスケールがかなり大きくなります。例えばあそこに見える神戸大橋も、そばへ行くと弯曲のビジョンとしては最大に近いのですが、ここから見るとおもちゃのように見えます。
           沈黙
【松 下】 四月二十八日に街頭闘争があったでしょう。あの時に自主講座のメンバー五人でこの岩へ登ったのです。「油こぶしを占拠せよ」という文字以外は白紙のビラを出して、バスでデモ・コースと逆方向のケーブル駅の方へ来ると県警のパトカーがつけてきました。軍事訓練でもやると思ったのでしょう。(笑)
           沈黙
【佐々木】 〈六甲〉の出だしは山道を登るところから始まっています。いまケーブルで登ってきたわけですが、あのケーブルが歪んでいるのに対して、窓の外の景色は垂直でしょう。水平面と斜面との間で歪んだ形で構成されている人間が、自然のなかで突出したところに坐っていると下へ舞い下りたいという衝動にかられるのは、そういう歪みからきているという感じがしますね。 【松 下】 心のなかの風景というのが、逆に暴き出されるわけです。何か不安をもっている時、迷っている時、模索している時に、風景の歪みによって逆に心のなかの風景の歪みが照らしだされる。
           沈黙
【佐々木】 風の音だけが聞えてきますね。
【松 下】 五月に逮捕状が出た時、飢餓群団(註一)の橋本君の飢える表現が権力の表現に勝つまで僕は六甲空間に潜伏していました。潜伏後僕がどうするかということでいろいろな方針が出されたわけですが、最初から僕は〈油こぶし〉で拡大自主講座を開くという方針を打ち出すつもりだったのです。
 当局側の「松下問題資料集」(註二)のなかで、僕のアピールの写真をのせて、直筆でないというニセの説明までつけてありますが、そのなかで「僕に関心をもって話しをしたい人は、いつでも僕がいると思うところに来て下さい」と敵味方の区別なく呼びかけているのです。つまり権力は僕がいると思う所を徹底的に捜せばいいし、また会いたい人も僕を徹底的に捜せばいいし、僕自身は固定した場所でなく、空間の極限にどんどん舞い上がっていく。そういうビジョンを佐々木さんも遠い所で同時に考えていたらしいですね。
 現実的には教養部の〈広場〉(註三)へ来た時に権力と出会ったわけですが、本質的な意味では平面的な大学構内から舞い上がって油こぶしへさらに目に見えない〈 〉へという風な場でなにものかと出会うために歩いてきた、そういう感じです。
 ここでみるとわかるように神戸には、大きい川がないでしょう、だから山と海以外の川というビジョンは毛馬(註四)へ行って始めてわかりました。この空間の対極として僕はそれを想定しているのですが。川が合流する地点の空間の突出のし方が油こぶしの突出のし方とどこかで似ているし、こういう斜面では水は一気に流れ下るけれども淀川なんかでは殆んど動かないように流れていくでしょう。
【佐々木】 蕪村には澱河歌というのがありますが、それには女体幻想が歌われているということを安東次男氏の「蕪村論」によって教えられました。桂川と宇治川が横たわっている女の両下肢、合流した淀川が上半身、頭が浪華、毛馬が胸元になるわけです。ちょうど毛馬で淀川が弯曲している、それが女の胸の弯曲であるわけです。毛馬で僕が夢想していることは、その壮大な女の胸元の上をさまよっていることになるのです。
【松 下】 下にいる時もときどきチラッとこれを見上げることがあるのです。特に評議会が秘密の暗黒裁判(註五)をやった八月には僕を一人だけ車に連れ込んで全共闘の尾行を全部排除しながら秘密の場所へ僕を連れていこうとする時に七年間くらしてきた街にも僕の知らない空間がいっぱいあって、どこへ連れていかれるかわからない不安を感じた。あとを追う全共闘の諸君もその空間をおそらく発見できないだろうという最後の瞬間にチラッとこの岩を見上げて、佐々木さんが「犯罪」の論文で引用したように、「いつ、どこへ出発しようとも、すべての風景と交換しつくしてしまっているという抒情からの出発を」したわけです。
 どんな空間へ連れていかれても、そういう空間の意味を僕たちは最初から占拠しているはずだから決して負けないだろう、逆に応用して敵の本質を暴露できるという自信がわいてきたのです。
【佐々木】 〈六甲〉の第三章でしたか、それまでは私たちのわたしのところに〈 〉をつけていたのが、〈 〉だけに発言させる最初の契機はこの油こぶしの上で書かれていますね。
【松 下】 そこで始めて中に何もない〈 〉だけの自立した表現というのが成立しえたわけで、その当時はそれが何を意味するか自分でもさっぱりわからなかったのですが、佐々木さんの規定によって情況の枠という言い方で、おぼろげに自分でも見えてきた気がします。むろんその見え方は権力が「く」の字形(註六)を見るような見え方とは正反対だけれども。
           沈黙
【佐々木】 〈六甲〉の作品のなかで一番重要な働きをするのは第三章と第四章の移動のところだと僕は思っているのです。例えばここに坐っていると全ての言葉は崩壊してしまっているという感じがあり、それではそれ自身を表現させるには何を基軸としていったらいいのかということになると結局、いままで自分自身が使っていた言葉では表現できえなかったもの、表現してきたものの間で表現できえなかったものを表現する方法というものが不安のままに予感としておしだされてくる。つまり恐らくそれは、松下氏がわたしたちのわたしに〈 〉をつけたときに意識的にか無意識的にか襲っていた不安自身を直裁に追いつめていった理由とつながると思いますし、そのことは〈 〉の表現にあてはまる。
 その不安を最高度に追いつめていったら、この六甲の空間のなかへ突出している油こぶしの頂上から垂直に落下することで〈 〉だけが上へ舞い上がる、不安だけが上へ表現として舞い上がる、その表現を把む作業しかできえないし、それが最も本質的な問題を担うのではないか。
【松 下】 舞い上がり方がたんぽぽの綿花のようになっています。僕をかすめて舞い上がっていく人が何人かいるわけで、その人間たちは何らかの形でこの油こぶしにふれているのです。いまでこそかなりの人がこの岩を知っていますが、僕が最初きた時は殆んど無名の岩でした。
【佐々木】 僕は松下さんがどういう順路でこの油こぶしを発見したのか非常に興味があるのです。松下さんの後を今ついてきたわけですが、途中で幾条も道が別れているでしょう、そのなかで何か偶然のように油こぶしに行き当ったことから、最初に松下さんが何を捜そうとしてここを発見されたのか……。
【松 下】 逸脱の感覚だろうと思います、この道は登山ルートからそれているでしょう。発見のきっかけは視線の逸脱なんですよ、ドイツ語を教えながら、何かわからないけど憎悪を感じていたのです。授業そのもののつまらなさだけでもなく、自分の生活過程のつまらなさだけでもなく、何ものかへの憎悪ないしは不安というものがあって、視線を逸脱させたときに偶然この岩が目に入って、その瞬間に休講を宣言してそのままこの岩を捜しに来たのです。ある意味では〈遠い夢〉ですね。
 例えば一週間警察にいたわけですが(註七)地下にいてもここの岩の存在を想い出すと不思議に勇気が出てきて、僕と遠く離れたところでこの岩のような存在を媒介に僕のことを考えている人たちと共闘しているつもりでした。直接スクラムを組む人よりも〈遠い夢〉を媒介にして共闘を組む人の方が僕には身近な存在であったわけです。
【佐々木】 それは、油こぶしが空間に突出していてそのことが同時に埋没していることとつながりますね。
【松 下】 同時に転倒している関係なのです。「く」の字形の転倒に似ていますね。ところで僕が興味があるのは、「死者の鞭」のような詩を書かれた佐々木さんがどういうルートで、僕なり〈 〉なり油こぶしなりに関心をもったかということでこれは非常に意外であり、また当然という気もするのですが……。
【佐々木】 僕が松下さんの文章を知ったのは「試行」でですが、〈六甲〉を読んだときに非常に難解な表現として、最初に受けとったのです。つぎにもう一度ぶち当らざるをえなかったのは一九六八年のはじめに「あんかるわ」で発表された「遠い夢」です。そのなかで、羽田へいった集団とその時に全く違う地点で労働していた人たちを激突させるような方法を提示していたことに、非常に衝撃を受けたのです。
 羽田闘争のあった日の夕方、ビラ撒きの為にいろいろなところへ行き、そこで松下さんのいう羽田とちがう空間、例えば今日のような日ざしをいっぱい身にうけたハイキング帰りの家族づれ、あるいはビラを手渡そうとすると、手をもつれさせながら笑いあって受けとるアベック達と向きあっていた空間を衝突させない限り本質的な問題は何もでてこないだろうということが一つの契機であり、もう一つは羽田の橋を渡っていったのは自分の現実のなかで幻想性を圧殺しようとしてくるものに向って幻想性を拡大する為に橋を渡っていったという指摘を読んで、どんな形態であれ本当の闘いは自己の幻想性を拡大することに敵対してくるものへ対する闘いであろうと思えたからです。
【松 下】 それは〈 〉論についてもあてはまります。〈 〉の意味するものを卑小なものに還元しようとする力に対していま敵対しているわけですから。

幻想の飢餓に曝され・・・・・・〈 〉の中の自立した表現

【佐々木】 「遠い夢」で提出された問題は、無限にまで遠くへ拡大していくことによって至近の旅を歩んでいくことができる。それはちょうど油こぶしが空間のなかに突出していることによって埋没しているという構造を見る眼と同一になってくる。
 それはこういうことだろうと思うのです。僕がある一つの固有の空間にいて、そこからは見ることのできない不可視の空間というのは原的にはありますが、その不可視の空間を見る方法を見つけ出さない限りは固有の空間を普遍化することはできない。松下氏の表現のなかで自身の固有の空間を普遍的な空間にまで押し上げようとして歩んでいく時間を見たわけですが、それは内部の時間によって外部の空間を見ようとする方法であろうと思います。その契機となったのは油こぶしで垂直に落下して〈 〉を表現させようとしたとき、時間と空間を激突させる瞬間に生み落とされたものでしょう。
 僕にとって〈六甲〉の第三章が重大なのは、それまでは内部の空間と外部の時間の道を歩んでいたのが、こんどは内部の時間と外部の空間で表現しなければならないと変ることが最初に提起されるところであって、そのことが表現の根底をになうことだろうと思うからです。
           沈黙
【松 下】 さきほど飢餓群団のことをいいましたが、僕も違った意味でこの数年飢え続けてきた〈飢餓群団〉の一員だろうと思うし、それから自分で意識しない〈飢餓群団〉のメンバーがたくさんいると思うのです。決して物理的なものにだけ飢えているのではなく幻想性の飢餓に曝されている人たちが圧倒的に存在していますから。ただ、それらの人たちが、〈油こぶし〉をどのように発見=創出していくかということが重大な問題になります。  研究室から僕を追い出すとかあるいは権力の空間に僕を閉じ込めるとかは簡単にできても、油こぶしや〈 〉に存在する僕を追い出すとかそこに閉じこめるとかは決してできないでしょう。権力の手の及ばない空間を全部組織していって敵たちを包囲しつくそうと思っているのです。            沈黙
【松 下】 「前史〈1〉」(註八)のなかのリルケの引用を読んでいて思い出したのですが、ヘルダーリンという詩人がいます。彼は三十過ぎてから発狂したのですよ、ときどきネッカール河畔の丘に登って町を見降ろしていたそうですがそのヘルダーリンの「ヒュペーリオン」という作品に、ドイツで生まれた青年たちは美を追求しはじめたら必ず七年目に狂人のように、ひっそり歩きまわる。ドイツには職人や学者や政治家や実業家は存在するが人間は存在しないからだ。そう書いた彼が実際にそうなっていったわけだけれども、僕はここへ来てからちょうど七年目なのですよ。だけど発狂したら、敵たちがザマアみろといいますからね、決して発狂せず生きのびていくことが僕の闘いだろうと思っています。
【佐々木】 もうすでに、そういう生き方を発狂であるとみなしている人もたくさんいるでしょう。
【松 下】 ええ、〈 〉を書くのは狂人の証拠であると。今後はそれを拡大して、〈 〉を使う人間は全部狂人で危険だから罰するということになるかもしれません。
【佐々木】 罰する方の人間は、視線を常に逸脱させていくという方向を歩まずに、ハイキングコースを常に歩んでいく人でしょうね。
【松 下】 かれらはドライブコースを車で一周するだけで六甲がわかったといいはる、思い込むのだと思います。
【佐々木】 松下さんの書かれた〈六甲〉の地図はハイキングコースやドライブコースから逸脱したところで作られたものですが、〈六甲〉のなかには無数の不安が予感となってちりばめられています。僕自身はこの地図からもう一つ僕自身の不安をとりだして逸脱していかなければならないと思っているのです、永続的に。で、僕の書いたものから後の時代の僕は逸脱していかなければならないだろうし、他の人もそうであろうということですね。
【松 下】 そういう無限の波紋を引き起こしたのがこの岩だということになります。
 もうじき道を捜しながら歩いて降りていきましょうか。
           沈黙

未来で開示される事実性・・・・・・〈……〉の意味

 アブラコブシから神戸大まで秋の日が傾いてゆく路を滑り降りながら近づき水平の地へ到達したとき、逆封鎖中の一〇九教室の空間の扉を飢餓群団が開く。この空間はいつも〈沈黙〉が占拠している。

【松 下】 今日、一〇九教室をこういう風に解放しようとは思ってもみなかったので愉快です。
【佐々木】 落書が残っているのは黒板だけですね。
           沈黙
【佐々木】 黒板にあの落書を書かれたのは、学校側が教室を逆封鎖した後にですか。
【松 下】 九月の始めに処分粉砕総決起集会で〈 〉広場に何十人か集ったとき、祭りのならわしのように、ここを解放して書いたのです。今日みたいに〈対談〉の途中で解放したのは始めてです。
 神戸大学の斗争過程を通じて、みんなが、この空間に何か畏れみたいなもの、ないしためらいのようなものをもっていて、常に意識していたのだけれどもなかなか来なかったですね。教養部では一番広い教室ですから団交をやったこともあるし、日共党員糾弾行動(註九)の舞台でもあったし、何よりも二年近い自主講座運動の拠点であるし。
 この部屋のカーテンは今年の三月以後全部取り払われましたが、あの窓の外の道路にパトカーを並べて中を見易いようにするためなのです。
           沈黙
【松 下】 ありとあらゆるすきまに落書をしておいたのですが三月逆封鎖した時全部消されました。九月にチョークで書いておいた黒板の文字を大学側が残しておいたのはどういう意味でしょう。二ヶ月以上わざと残しておくのは。
           沈黙
【松下】 バリケード性ということでいえば、大学のバリケードが解除された後も半年以上、ここはバリケード状態だったのです。今年三月、逆封鎖されたらこんどは研究室がバリケード状態です。今度研究室を追い出されたらどこへどう連続するか、自分でも興味津々なのです。この世界から完全に排除されても、名づけようのない記号がありますから。

 地下食堂でAランチをたべてから、階段を四階へ昇る。研究室の窓からはアブラコブシがしだいに黒い輪郭となっていくのがみえる。対談はガスストーブの静かな音を聞きながら進んだが、現在も封鎖中のこの空間は〈落書き〉とさまざまな〈表現〉の可能性が〈発言〉を求めて立ちあがっている。

【松 下】 本棚や壁に赤インキがかかっているでしょう。封鎖解除後、夜、教職員がブッかけていったんですよ。消化器をもってきて消化液を撒き散らして雪のように積もっていたこともあります。彼らは落書するとき、決して文字を書きませんね。汚損するだけです。自分の固有の表現を決して打ち出せないわけです、筆跡が解ることを極度に怖れますから。しかし、僕は綺麗な模様だなあと思って消さずに残してあるんですよ。
【佐々木】 バリケード解除前ここへきた時に、別れぎわに松下さんが、もう赤ちゃんをお風呂に入れなければならない時間なので失礼しますとおっしゃったことを聞いて、何か非常に納得できるものがあったんですよ。そのときはよくわからなかったのですが、ただそのときは僕と松下さんとは違うんだなということがよく解った。どう違うのかということは、いまはこうしか言えないのですが、松下さんが歩んでおられる自己史の系譜と、僕の歩んでいる自己史の系譜が、それぞれ固有の内部の時間の上で出逢って、現実的には違った空間を生きながら〈共闘〉しているということです。
【松 下】 その延長でいうと、一晩僕がいないということは家庭生活のペースを全部崩してしまうわけです。だから封鎖解除の夜、研究室に僕が残るということは、単に政治的な意味だけでなしに、生活のペースを崩してしまうことなんです。まして何日間かパクられているときなんか完全に狂うわけで、そのうえいつまで狂うかわからないし、そのとき面白いというか重たい現象というのは、子どもたちに最初に影響があらわれてくるのです。上の子は失語症になるし、下の子は呼吸困難になる。大人たちであれば論理的に説明がつくわけなんです。いま弾圧があって何日間か拘留されているからそれまで待てば帰ってくる。あるいはこれは不当だから断固反論しようとか論理でカタがつくでしょう。子どもたちは決してそういうことはわからない、ある日突然父親がいなくなって、風呂にはぜんぜん入れないし、母親はオロオロしているし、見知らぬ人間がたくさん出入りしている情況が彼らの情況でしょう。僕はそっちの方が本物だという気がするのです。論理的に明快に説明するよりも、しきれないもののなかに実は生きているのではないか。自分の論理では片づかない問題がぎっしり詰まっているのだということを今のべたことを媒介として痛感したのです。
           沈黙
【松 下】 僕の上の女の子(まや)がよくここへ遊びにくるんですが、この窓からベランダへ出たがるのです。僕たちは決してここを出ないのです、向うへ行くとき以外は。明確な目的をもってあちらの建物へ行きたいからここから出る。機動隊も封鎖解除の時、むこう側からベランダを通ってここへきました。ところが子どもにとってはそうではなく、マリがポンポンところがりうる空間としてとらえているのですね、そういうとき、自分の空間性の把握が、意外なところでガラッと崩壊してしまいます。
【佐々木】 僕は最近思うのですが、その机の上の掲示(註十)にもありますが「君は何をするために……」といったように松下さんは必ず「……」を六個しか書かれないでしょう。それで数字の個数の六と六甲とを重なり合わせた問題と松下さんの周りの他の人がその表現に同化しようとして六つの点を書いていくときと、意味が違うのではないかと感じているんです。六つの点ではなく一つでも無数でもいいのですが、そこへ普遍的に応用できるものとして六個の点を書いていくのに対して、松下さんが六(個)を書かれるということに自分を同化させようとして六甲(個)を書く人たちというのはやっぱり問題は別になるのではないか。
【松 下】 無言というか沈黙を表現したいための記号なのですが、模倣以前に記号があること自体に気づかない人がいるんです。例えば神戸大当局の作った「松下問題資料集」がそうです。抹殺しているところが重要だと思うのです。
 〈 〉にしてもそうで、記号を応用するにせよ批判するにせよ、〈 〉そのものを固定したものとして把える人が殆んどです。だから僕は権力者をふくめて、あれをどう批判するか、どう評価するかでその人の方法論が全部暴露されてしまうと思いつつ黙っているのです。それこそ〈・・・・・・〉のまま。
           沈黙
【佐々木】 松下さんの子どもさんが、普通は通路として使う空間を転倒させてしまった先程の話しを、応用していくときに、自分が知らない未知の空間に向うときつまり外部の時間に投げ出されてしまうときには、本当は懐しい記憶としてそこへゆくのではないかという気がするのです。過去の記憶ではなく、未来の記憶として行くのではないかという気がするのです。
【松 下】 僕に対する処分や、その理由というのが全部過去形で語られているでしょう。だけど僕に関する事実性というのは未来においてしか開示されないのです。だから、処分の説明書が全部過去形であるということがまさしく最も犯罪的なことであって、僕の行為は遠い未来において、開示をはじめるにすぎないのです。文字通り未完了のまま完了という形で僕たちがこの世界からフッと消える時に。
【佐々木】 そのことが表現の本質的な問題ではないか、と僕は思うのです。行為の表現にしても言語の表現にしても。
           沈黙
【松 下】 僕が一人で組織的な連帯なしに闘争しているという評価の仕方がありますね。そういう評価のしかたが評価者自身の破産を示しているのではないかと思うのです。例えば、油こぶしを媒介にして共闘しているという関係がその人には完全に見えないわけですよ。みえないということの告白に他ならないと思います。僕が単独者であるといういい方は、ここでも組織論上の重要な問題が出てくるはずです。
【佐々木】 そこで二つのものが共闘する〈組織〉という問題になるのですが、松下さんと〈共闘〉者の間で〈発言〉と〈沈黙〉が表現として交換しあうとき、仮構の第三点目が描かれていると思うのです。これは二つの点の創る〈組織〉空間をみすえる視点ともいえるでしょうし、この対談の空間そのもの、つまり〈 〉であるということもできます。仮構の第三点目を無限に移動させることによって、二つの点を基準とする〈組織〉が不定型の三角形を描き続けることが可能になる、それは〈六甲〉のなかで松下さんが書かれたピラミッドの稜を移動するという表現と同じことでしょうね。だから松下さんへの処分は〈 〉への処分であろうと思います。
           沈黙
【松 下】 実は人事院に対する公開審理要求の文書を今晩書くつもりです。
 そこに書くことは、要約していえば処分を何故開始しないかということなのです。つまりみんなは処分が在ったと過去形でいっているわけで、そうではなくて処分などはまだ開始されていない、つまり僕を処分するという意味が殆んど全ての人に把えられていない以上、処分などはありえないわけです。だから僕の本当の〈罪〉を全ての人が確認し、裁くように要求しているわけで、こんな行政処分など処分のうちに入らないのです。
           沈黙
【佐々木】 僕は毛馬にいると、自分の時間が内部で弯曲しているという感じがしているのです。それはどういうときに襲ってくるかというと、現実に何もやっていないで幻想空間にいるときです。現実に行為しているときはもちろん直線的にみえるのですが。湾曲している自分の内部の時間の真中に弦みたいなものがあって、その弦を思想とよぶことができるとしたら、歴史的な外部の時間は直線上に連続して上部にあっても、現在的に人が歩くのは弯曲した時間の上ではないか、ということです。ですから自分自身の行為に歴史的時間をあてはめるだけでは、そのなかに位置づけることは可能でしょうが、そのとき発想が固定化することを怖れねばならないと思います。歴史的時間のうちのどの位置にいるのかというところから出発する方向と、おのれの内部に弯曲している時間の上を歩む方向とが出逢う地点を表現の根拠にしなければならないということです。
【松 下】 弯曲度の対象化が自分の表現ということでしょうね。
【佐々木】 弓のようなものを想定して、弯曲の部分を左手でもって弦で弯曲の度合を強めていく、それでつきはなす時、何かが矢のように飛び出してくる。それが多分表現だろうと思うのです。

 〈書写上の註=続く部分も佐々木氏の発言に含めて新聞に掲載されているが、内容から見て明らかに松下氏の発言なので再構成する。なお「発言集」に集録した時のコピーの汚れで・・・・・・の部分が読みとれない。おそらくは「(佐々木さんの)複相的な時間性が出逢い、表現を(生む)」といった趣旨の言葉が想定されうる。〉。

【松 下】 この研究室や佐々木さんの・・・・・・生む空間を誰でもいろんなところに持っているはずなんだけども、それを発見しないでいるだけだと思います。〈六甲〉や〈包囲〉はほとんどこの研究室で書かれたもので、それを書いているときにここへ来る学生たちは僕をドイツ語の教師という目で見ていたでしょうし、同僚の教師たちはかけだしのドイツ文学研究者という規準で見ていたはずです。彼らの僕に対する規定が次つぎに粉砕されていくのがこの数年間だったわけです。そして佐々木さんのいうように造反教師というのは僕に対する最大の汚名です。

黙秘が叛逆の拠点・・・・・・無言のまま書く行為

【佐々木】 人間は何かに対して規定を与えたら満足してしまうでしょう。人に規定を与え自分が何かの規定を与えられることによってそういうものであると錯覚してしまう。
【松 下】 それも一つの処分だと思うのです。彼は何々であるという言い方は、そういう処分を執行しているわけで、そういう〈処分〉に対する粉砕をやっているつもりなのです。〈沈黙〉を媒介としながら。
 神大闘争で沈黙が登場してきたのは、四月八日なのです。教授会開催を阻止する為に坐り込んだのですが、いろんな党派の人たちはシラケルから誰か次々に捨ベ喋言ろうではないかと言います。絶えずアジッていないと不安なのです。それに対してアジテーションはいらないという意見がだんだんでてきて、ただひたすら沈黙して坐っていた。その沈黙を破ったのが退去命令で、四十一名が逮捕されたのですが、それ以来神戸大学闘争のなかで〈沈黙〉が主要な軸を占めてきましたね。
【佐々木】 法的な言語のなかでは沈黙は許さないでしょう、最大の罪ですね。つまり法的な言語では沈黙を把えることはできないから許さないのですね。法的な言語に対する叛逆の拠点は、黙秘という法的言語を最大限逆利用することです。
【松 下】 いま思い出したのですが、聖書の中に非常に興味深い個所があるのです。姦通した女をかこんで群衆が、その罰し方を問うた時に、イエスは何も語らずにしゃがみこんで地面に奇妙な図を描いていた。するとみんなが黙り込んでしまって、一人去り二人去りとうとう誰もいなくなり、最後にイエスとその女だけが残ってしまった。そういう沈黙に僕はまえまえから関心をもっているのです。なかでも無言のまま、何かをかく行為によってみんなが黙り込んでしまうところに。
【松 下】 僕をふくめ、権力が規定した被告団は五人なのですが、僕達の運動のスローガンはいつも六個あった、六個目が何も言葉のない〈・・・・・・〉でしょう。同じように、五人の被告団の場合も、国家が規定してない六番目の被告が別に存在しうると仮定しているのです。だから、五人の間だけの統一性は恐らく成り立たないので、不可視の六番目の被告を設定する度合いだけ共同性が成立するだろうと思っているわけです。そういうやり方を法廷闘争にもちこんだら、法体系が全部崩れていくでしょう。
           沈黙
【松 下】 この対談は奇妙な感じがするかもしれませんが、僕は対談という表現のジャンルをどこかで超えたかったのです。いままでも、落書という概念、採点という概念、ビラという概念、アジテーション、闘争、生活、愛。そういうものの枠をまるごと粉砕してのり超えていかない限り、大学闘争をやった意味はぜんぜんないと思ってきたのです。
           沈黙

註一  〈二人〉の組織で、情況の飢餓を六甲空間において止揚するために、一九七〇年五月〜六月に〈結成〉された。十一月にパンフレット「前史」を刊行(発行所・神戸市灘区新在家南町二、新在家ハウス、清水早子気付)。なお、文中の橋本和義君は、発言者(松下)よりも先に逮捕されたのであるが、直ちにハンストに突入し、六日後釈放されてから、潜伏中の発言者と出会った。

註二  神戸大学教養部広報二十二号のこと。この膨大な資料集は権力による闘争総括として必読の文献である。これを批判したものとして「メタ」(神戸市須磨区潮見台町一ノ三ノ一赤木真澄方)十二号を参照されたし。

註三  一九六九年九月に正常化の授業開始を粉砕する闘争がおこなわれたとき、教養部の正門を入った広場に、巨大な白ペンキの記号〈 〉が出現したので、以後〈 〉広場とよばれている。

註四  淀川が最も美しく弯曲する場所。蕪村の生地であり、また対談者たちの幻想的な労働拠点でもある。

註五  神戸大学評議会は、松下処分に合法性を仮装させるために、八月に、処分者に口頭陳述の機会を与えたが、裁判制度にすら保証されている弁護人、証人、傍聴人を排除しつつ、学外で権力に守られて処分の儀式を強行しようとした。

註六  処分後、五月の起訴に続いて神戸地検は、ラクガキのうち、六重に重層した記号〈 〉を『「く」の字形、十二個をかき並べ黒板を損壊した』と記述して起訴した。

註七  五月初旬評議会で処分が議題になるのと同時に、当局は権力に供述して何枚かの逮捕状を出させ、処分粉砕闘争を圧殺しようとした。

註八  註一を参照されたし。

註九  六九年二月にバリケードが形成された後、日共が地区党員を動員して解除しようとし、それを糾弾したバリケード内の人間を権力に告発した。

註十  ある日、突然、研究室にこなくなった人間が机の上に「きみは、なぜ、ここにいるか。きみは何をするために……しているか」という掲示をはり出した。