◎〈 不可視の拠点から 〉 ー 松下昇氏 ー解放学校で話をするのは3度目ですけれども、今日特にいっておきたいことは、70年1月の書簡で菅谷規矩雄君から私に宛てて次のようなことを書いてきたわけです。それは、「最後まで闘う1人が最初に闘う1人であることを示しうる時まで生き続ける」という文句です。それには幾つかの前史過程というべきものがあって、私自身は、先程紹介者が言われましたように、69年2月2日に「情況への発言」という形で、「授業柜否を含む大学の秩序を維持する一切の労働を放棄する」という宣言を行なったわけですけれども、菅谷規矩雄君はその段階では名古屋に居まして、69年10月に都立大学へ移つて来たわけです。そして、封鎖解除を経て11月11日に授業拒否宣言をしている。菅谷君は、神戸大学で2年間私とー諸に居た人間であり、69年の闘争過程・バリケード空間の時期には名古屋に居り、そしてその後現在まで東京に居る。そういった私と菅谷君との前史過程というものを考慮しないと、今の発言の重さというのは解らないだろうと思います。別の後の書簡の言葉で言い換えますと、「君(松下)がとどまることで選び取つたものを、自分は移動することで選び取ったのだ、と言い切るまで闘い続ける」そういう表現もしているわけです。今紹介しました2つの表現が正に包囲するというか一致するという、そういう時点に、いま・ここで発言し得る、そういうことを最初にいつっておきたいと思います。先程、菅谷君が処分過程の問題の幾つか語りましたけれども、それを自分自身のあるいは全国の様々の処分問題と比較してどのような特徴があるか、そういった問題を最初にみていきますと、神戸大学における処分過程というものは、すでに69年12月の段階で教授会の議題にあがっており、その事件で私も教授会粉砕ということで起訴されているわけですが、その直後に私は解放学校で発言しているわけです。70年3月に処分調査委負会が結成され、4・5月、機動隊を導入して逮捕・起訴を課されたうえ、8月から10月にかけて評議会が処分を下している。時期的にみればそういう差があるわけですけれども、それ以上に重要な点は、都立大学における処分過程というものには大学権力の極めて長期間の無言の過程があつた。そしてその無言が一気に急激な圧殺過程に転じている、そういう前段階あるいは大部分の段階の無言の過程とその最終の段階での言わば滝のような圧殺過程、その対比が極めて特徴的であるという点てす。 2番目の特徴は、私に対する懲戒免職の理由は12項目あったわけです。ところが菅谷規矩雄君の審査説明書というのを見ますとそのような事実性に関する問題は一切捨象して、ただ单に、授業を拒否したということだけを挙げているわけです。これは極めて大きな違いだと思うんです。といいますのは、神戸大学における処分過程が、教授会から評議会に至る段階で、数ヶ月から半年近くかかつているのに対し、都立大学はわずか1ヶ月で済んでいるその質的な違いにつながってくるということです。つまり、処分理由の中に様々な事実性の問題を、それも学外の問題も含めて提起しますと、それの審査・処分の過程が極めて複雑になり、また様々な反撃が予想されるので、それを切り捨てるために、授業拒否という抽象的な事実性にしぼって処分攻撃をしかけてきた。そこに、今度の処分の全国性というか、今までの処分過程を極めて綿密に検討し合理的に処分を強行した、そういった意図を読み取ることができると思います。 これに関連しますけれども、審査説明書と処分説明書を比較すると重大なことが解ります。つまり、5月8日の審査説明書は、ただ单に授業をしないということだけをいつている。ところが処分説明書になりますと、そのような審査過程における菅谷君を含む解放学校の行動が同時に処分理由にされているわけです。そのような重層性というか加速性というものは、非常に大事なことだと思います。つまり、権カの方はこの数年の総括を彼等なりにやってきて、ただ単に圧殺するだけでなしに、その圧殺に対する反撃過程をも同時に圧殺に加速させ重層させていく、そういう方針を明確に対象化しつつあるわけです。そのことは例えば、南山大学(名古屋の大学ですが)における学生処分にもはっきりみられており、最初は停学1ヶ月というものを出しておいて、それに対する我々と同じ戦線で闘う人問たちの処分粉砕闘争というものを逆にロ実にして、退学処分及び吿訴・起訴という形で重層的に圧殺してきています。そういう面からいっても、教師・学生を問わず、処分のやり方・闘争の圧殺のやり方というものが国家的な規模で行なわれてきているということがいえると思います。 その次の特色というのは、とりわけ都立大学・東京都といった水準での問題にもつながりますが、スターリニストの役割、闘争過程・処分過程における日共・民青などの役割、これが神戸大学などにおけるよりもはるかに質的に大きい意昧を持つていたということ。スターリニズムというものがファッシズムの双生児である以上、そのスタ―リニズムの指摘は同時に新たなるファッシズムといい得るものの萌芽の指摘につながる必要があるわけです。その問題は、既に菅谷君が指镝したように、処分過程で民青系の学生が事実に関する証言を行なっている、またその民青系だけでなしに学生存在そのものが本能的に单位を欲求している、自分の存在と大学で单位をとるという存在とをピッタリ重ね合わせている、そのような問題こそが、ただ单にイデオロギー的にスターリニズムであるかどうかということ以上に重い問題を今後提出してくるだろうと思います。 5番目の間題というのは、その新たなるファッシズムと呼ぶベきものにも関連しますが、処分過程における委託の問題(委託については後でまた北川氏なども含めて問題提起したいと思いますけれども)菅谷君の報吿の中で、最初に独文研究室との公開討綸が要求された、その場合研究室の構成員は自分には貴任がないといいつつも実質的な処分の役割を担ってきている。この場合、私が研究室というのと発言がどこか違うなあという気がしたんです。それはどういうことか考えてみると、菅谷処分における研究室というのは関係性としての比重をもっているんじゃないか。私の場合には空間性として比重をもってきている。つまり、起訴の理由にもなり、また民事裁判が現在行なわれてもいるし(これはバリケードの空間とも関連してくるはずですけれども)そのようなものとして私自身が今まで研究室という発言をしていたのが、ここへ来てからそれが関係性としても捉え得るのだということ、つまり実際にその部屋を使おうと使うまいと、大学権力を分担してもっている人間達、それに処分過程を委託させて処分を実質的に開始させる、そういう問題として今後展開していく必要があるだろうと思っています。そのことは同時に,彼等のいう研究なり学問なりの問題と不可分に結びつくはずです。で同時に、処分における委託過程というものは、大学と東京都議会との関係についてもいえるわけで、大学が本来質問し反論すべきところを東京都議会が代行している。つまり、大学権力はここでも東京都議会という地方自治体に処分過程を委託し、また逆に東京都段階での権力が処分過程を大学に委託している。そういつた相互関係があると思います。ですから、さっきの問題に戾ってきますけれども、我々の敵対すべき対象というものは、具体的に身近にいる敵だけでなくて、むしろ、そのような圧殺過程を委託させてくる関係性といいますか、構造、それからそれを成り立たせている存在の根拠、つまり、単位を取ることについて全く疑わない存在、あるいは日常的に生活し給料を貰いボーナスを貰い、という過程を全く疑わない存在、その存在によって新たなファッシズムというものが構築されつつあり、そしてその不可欠の一環として日共=スターリニズムが媒介されているんだろうということです。 そういつた菅谷処分における幾つかの特徴というものを考えてきたわけですけれども、それと平行して、また重層して行なつてきた、私……私達の六甲における幾つかの問題点というものを報告しておきたいと思います。 前回つまり昨年の1月に、私がここで語ったことは、仮装組織論という問題であり、それは1昨年最初にここで語った自主講座運動の問題と連続しているわけですけれども、今までのその2回の問題と、今日ここで展開すべき問題というものは、様々な意味で深い関連をもっているわけです。その全てについては今語りうる条件がないわけですけれども、その主要なものの展開をしてみたいと思います。 今までの2回の問題というのは、大学における闘争が、裁判、国家政党といった体系との対立に移っていく過程というものを基本的に指し示していましたけれども、その後昨年の1月以降私たちがたどっている過程というものは、ただ単に大学から法廷へという一方通行ではなく、同時に法廷から大学へという逆方向をも含んでいるということ、また、大学と法廷という2つの固定した埸所に止まらず、それらを支えている闘争、生活の根拠総体を対象化していく必要性、その不可欠の媒介として大学なり法廷なりがあるのだということです。 具体的に少し語ってみますと、咋年の3月〈 〉公判の第3回というのがありましたが、これはいわば永続的な休廷という形で審理不可能になったわけです。その問題をひきづって昨年10月1日の監置やリンチの問題も出て来ているわけだし、国家というものが私達の表現の根拠を遂に裁くことができない、という問題をひとつ引きづり出しているわけです。 2番目には、昨年の4月以降、109教室(ちょうどこれ位の広さの教室)が再び授業に使用され始めたわけです。それまで1年間我々のいわゆる妨害を恐れて使っていなかった教室を昨年の4月から再び使用し始めたので、私達はそこを占拠して、109の空間性の意味あるいは闘争の全過程の問題提起といったものをやったわけですが、その過程でその109教室における哲学というものが永続的に休講に陥つた。同時に、何名かが逮捕され起訴されるという過程があって、それは〈 〉公判に続くもうひとつの新たな被告団の形成という問題をもつているわけです。 その次には、これも同じく咋年の4月からですが、松下研究室に対する仮処分決定及びその逆封鎖という問題が起って、これは現在ふたつの民事裁判となって展開されつつありますけれども、この逆封鎖というものもやはり永続性をもつているわけです。名目上は、その部屋は現在アメリカ人の講師が使用しているということになっていますが、その研究室はカラッポで逆封鎖されたままなのです。つまり、具体的に使用する人間は誰も居なくて、しかも日本人を入れたら粉砕されやすいからアメリ力人を入れたらチョット(笑)難かしい。そういうことで動揺している人もいますけれども(笑)、ともかく実際にはそのアメリカ人はまだその部屋を使つていない。つまり、空間性の使用ではなくて関係性として使用しているわけで、それは先程述べた菅谷処分における研究室の問題に関連してくると思います。同時に、その研究室に咋年の9月に窓から入って研究室の内部に落書をしたということで私と元学生1名が吿訴され、またもやそれが裁判になろうとしているわけです。冋じような形態でやはり南山大学で、今年の3月末でしたか、その停学1ヶ月に関する事実調査の会場というものがあつたわけですが、その会場である研究室に落書をしたということで、告訴、起訴がなされているわけです。同じ形態で、同じ場所・表現行為に対して、起訴がなされています。 それから、昨年の5月から7月にかけて生協総代選挙というものがありました。これは、大学構成員というものは同時に労働組合なり生活協同組合に加人しているわけで、その身分規定というものが重層化しているわけです。だから、敎官として免職されたとしても、労働組合員あるいは生活協同組合員としては、そのままストレ―トに身分を失うわけではない。そういった関係性を逆用して、教職員代表の総代という形で立候補したわけです。そうすると非常に大きな問題が起こりました。つまり、大学当局からすれば、既に免職された人間であるから立候補の資格はない。当然、教職員組合を握つている日共は、それを許すことができないので対立侯補を立ててくる。それから、現在生協を握つている部分は、もとはバリケード空間で活躍したこともあるわけですけれども、現在はその巨大な機構を運営するという作業があるために決定的に大学と対立することはまずいと考えている。そういった問題を抱えて昨年の5月から7月まで、また、今年のやはり5月から6月にかけて、選挙という問題をめぐって闘争の総括が強いられてきたわけです。今までは、大学当局とか機動隊とかいういわば権力の先端部分との対決であったわけだけれども、そのような選挙過程になりますと、そのような上層部を支えている存在、あるいは何らかの形で闘争してきた人間とまで対立せざるを得なくなる。そういう問題をはらんで来たわけです。同時に選挙という問題も、自分を代表し得るのは自分だけだという立場に立てば、自分が0か1の票をもつことはあり得るけれども2以上は成り立ち得ない、いわば2進法の世界像というものが現われてくるわけで、その問題は今後とも永続化していくだろうと思います。 また去年の7月、これは人事院の審理というものがあって、これもさっき菅谷君が述べましたように、入事院の審理というものは、現在のブルジョア法体系と比べますと一見ゆるやかに見えるけれども、実はそれは処分の最終過程の儀式をも意味するわけであって、解り易い例を挙ければ、刑事裁判なんかでは被告がイヤダと言っても無理矢理引っ張り出して裁いていく過程があるわけです。ところが人事院審理というのは、あるいは大学の評議会の陳述でもいいわけですけれども、陳述の機会、反論の機会を与えたという証拠さえ残せばいいわけなんです。そのような意味からして人事院審理というものが昨年の7月に永続的に打ち切られた、これはパンによってなのですけれども、それは1昨年の岡山大学における人事院審理が水によって粉砕されたという問題とも関連してきます。これについては、まだ総括し切れない幾つかの問題があるわけだけれども、それは、今後菅谷君が人事委員会なり処分粉砕闘争の過程で否応なしに突き当たる問題でもあると思いますから、今後とも永続的に共同で追究していきたいと思っています。 今無意識に〈永続的〉っていう言葉を幾つか使ってしまったわけです。つまり、〈 〉公判の永続的な休廷、あるいは109の授業の永続的な休講、また研究室の永続的な逆封鎖、それから生協総代の永続的な欠員、また人事院審理の永続的な打ち切り。このように思わず使ってしまった永続的という意味は、ひとつひとつ質的に異ってはいますけれども、やはり同じ情況の同じ根拠から発しているのではないかと思うわけです。その永続性というのはやはりバリケードの空間性から発しているのではないか。つまり、69年のバリケード形成時においては、この空間が何時どのような形で解除されるかは判らなかった。けれども少なくともそれを構築した瞬間には、永続性をもつものとして位置付けられていたはずです。そうでない限り全共闘運動の一切の意味はなかったであろうし、また、それが具体的に国家権力によって解除された後も直ちに秩序に復帰しなかった最大の根拠であろうと思うわけです。問題は、私達がそのような永続性を付与しようとしながら何らかの形で歪曲していかざるを得ない、その問題を追究することだと思うわけです。また、これは私自身にもまだほとんど解けていないわけですけれども、いま述べたその永続性に関する問題というものは、この極めて困難な情況のなかで再び捉え直す必要があるのではないか、と思っています。 次に提起したい問題というのは、これは仮装組織論とも関連しますけれども、権力によって様々に名付けられる存在、例えば、「被告」という存在については昨年語りましたが、それ以後私には様々な呼び方が権力によってなされているわけです。つまり「被告」というのは、刑事裁判において名付けられたものですが、それが民事裁判になりますと、債務者という形になるわけです。そして債権者が、国(国家ですね)その法務大臣なのです。それで、債務者(つまり私)の方は永続的に同じ人問てあるにもかかわらず、債権者(つまり法務大臣)ていうのは内閣改造の度毎にどんどん替るわけですね。で、そういった問題も含めて、裁判闘争というものが刑事裁判から更に広がって民事裁判というものを含んできている。また、その民事裁判には補助参加申立人というのがあるわけです。これは、法的には、補助参加を申し立てることは一応誰でもできて、それが却下されても高裁で決定が出るまでは訴訟行為をすることができる、従って最低限一週間はできるわけです。現在神戸においては、ほとんど実質的にそれが地裁では却下されたが、高裁が決定を出していないために訴訟行為ができるわけですね。従って、大学当局に対する反対尋問とか、そういう名目での様々な表現行為が可能になっている。つまり、刑事裁判における仮装被告というのは、柵をひとつ越えるだけでも極めて大きな意味をはらんでいるわけだけれども、民事裁判においてはそれが、少なくとも可視的には、極めてゆるやかである。そのゆるやかさのなかに実は重い意味もはらんでいるわけだけれども、少なくとも、そういった仮装被告論、仮装組織論の問題を、刑事裁判についてだけ発想するのではなくて、民事裁判、あるいは人事院審理を含む闘争より広い領域ですね、つまり、生活領域総体における共同参加の問題として捉える必要があるということです。 それから、3番目の問題は、今述べましたように、私達の戦線が極めて拡大して、また複雑になっている。処分過程から出発しながらも、刑事裁判とか民事裁判とか人事院審理とか、あるいは名付け難い領域での様々な事柄、ま、仮りにnじ闘争(この「じ」というのは事柄の「事」ですが)という風に名付けてみますと、私達がある表現の根拠なりあるいは空間性なりにこだわり抜いた埸合、現在の社会ー国家の秩序のn事性に触れてしまうのではないか、という問題があるわけです。つまり、ただ単なる刑事裁判だけでなしに、民事裁判とかあるいは法廷を媒介としない様々の裁きに触れてしまうのではないか。それは、一方では、闘う領域・生活する領域総体の対象化というものを指しているように思われます。 そして、重要な問題は、そうであるからこそ非存在の闘争が強いられてくる、ということがあるのです。その非存在の闘争についていくつかの例を述べます。 例えば、解放学校は、昨年の3月以降、六甲における仮装被告団の闘争に何度か共同の参加をしようと試みながらも、その度に三里塚へ引き裂かれていった。その問題ひとつ取り上げても、我々の直面する対象というものが非常に深く複雑になっていて、同時にひとつの空間で共同して何かを行なうということが困難になっている。また、それは闘争についてだけいえるのではなくて、生活領域、ま、失職後働くという問題も含めて、その労働過程が、闘争過程とやはり分離せざるを得ない。従って、眼に視える形では、仕事が忙しいためにある闘争の現場に非存在する、ということも起り得るわけです。だから、そういった問題も含めて私達の表現行為というものを捉える必要がある。 もう少し具体的な例を述べますと、昨年の9月、民事裁判が行なわれたわけですけれども、この直前に私、私たちは109教室の問題で逮捕されていて、ちょうど3日目に民事裁判があったわけです。御承知のように、3日目には裁判所でこう留尋問、判事による尋問があるわけですから、そこへ車で連れて行かれた。その判事尋間のすぐ近くの法廷では民事裁判が行なわれていたわけです。いや、行なわれようとしていた。私達は、当然そこに参加できるものと思って楽しみにしていたわけですけれども、それは検察庁の一方的な命令で拒否されて、直ちにそれぞれの留置場に引き戻された、という関係がありました。そこにおいては、私達逮捕されたものは、民事裁判に非存在のまま加わらざるを得なかったわけです。同じ問題が7月の人事院審理にもあって、5日間の審理期間中パンの問題をはさんで、第4日目には会場には居ないで横の控室に居たし、5日目にはその建物にも居なかったし、そして第6日といいますか、これも菅谷君のビラにあった言葉ですが、〈第6日目へ向って出発する〉という表現行為を選んだわけです。また10月1日においても、私ともう1人が、〈 〉公判で監置されたために、その1週間後の南山大学における第1回公判に参加できなかった、ということがあります。今年に入ってからも、6月1日には、生協総代の選挙とそれから今年の2月にタマゴを投げた事件での第1回公判が重なったわけです。けれども、それもその場合にも法廷には存在することができなかつたわけです。 今、まあ、審理の水準での非存在を語りましたけれども、この非存在は当然一切の情況の問題についてもいえるわけで、それをどのように包括し、ひとつひとつの段階において逆用していくかっていうことが、今後とりわけ六甲における闘争で必要になってくるだろうと思うし、それは、ただ単に六甲だけでなしに、南山なり解放学校なり、あるいは、未だ私達が名付けていない領域での闘いというものに、不可欠の課題として登埸してくるだろうと思っています。 その他、幾つも提起したいことはありますけれども、時間的な余裕だけではなしに、私自身未だ表現の位相にのぼせることのできない幾つかの条件をもっていますので、今はこれだけにして、後で討論の過程あるいはその他様々の表現過程において、この問題を追究していきたいと思います。(拍手) ---司会---- 松下昇氏の方から繰り返される逮捕・起訴そして裁判闘争のなかから引き出されてきた数々の問題と、そして我々との関わりのなかで、非存在の闘いの方向といったものが報告されきただろうと思います。そしてまた、菅谷処分の過程における問題と松下処分における問題の関わり、それは5つの問題点として提起されたわけですけれども、そういったことも含めてかなり大きな問題が提起されたと思いますので、討論の埸において更に深化させていきたいというふうに考えます。 それでは次に、70年夏の解放学校連続自主講座の時に知識の先験性、知識人の存在の先験性」という形で、われわれに対して、知識の専有とそしてその頽廃に対する、まさにその主体性の欠如として、知識に対する批判と、そして我々に、自らが知的に上昇過裎をたどるなかにおいて、たどらざるを得なかったことに対する根底的な批判というものをし、そして、知識とはまさに、知識自体として先験的に存在するものではなく個人における主体性と思想性の問題である。という形で提起し、現在南山大学における、団交要求―監禁ー機動隊導入ー逮捕ー起訴、といつた闘争の圧殺過程における極めて厳しい闘争に対して、自ら主宰しておられる自立誌の「あんかるわ」において、「自己組織への階梯」という形で、「風土的欠損,反風土的幻想の創出」ということを根底におきながら関わって来られた、北川氏からの問題提起を受けていきたい、というふうに考えます。(拍手) |