九州大学1970年12月講演九州大学新聞1971年1月25日号掲載(原典縦書き)[〈六甲空間〉において〈大学〉闘争が提起した問題を真に受けとめ、〈表現運動〉を展開している松下昇氏の講演を大学研究者変革会議などの協力をえて、ここに掲載することができた。 〈 〉の根拠を〈私〉に下降することによって、あらゆる時間=空間を〈包囲〉し〈 〉を越えていこうとする松下氏の〈ことば〉は、我々に重くのしかかってくる。(編集部)] 「私にとって大学闘争とは何か」松下 昇私は十月十六日の懲戒免職以来、研究室からの退去命令、および研究図書の全面的返還の要求を受けており、どちらも従ってないので、不退去罪、および横領罪という恫喝を受けていて、毎日学校に行くことがそのままひとつの犯罪を構成するという奇妙な情況の中にいます。つまり、何か行為をする、その結果として行為が問題にされ始めるという段階から、行為をしなくてもただ存在する、生きていくということが、そのままブルジョア社会ないしは国家の論理にふれてしまう、そういう情況に入りつつあるような気がするのです。私自身はもともと闘争が好きな人間ではなくて、できれば、たった一人で静かに何かを考えていたい人間なのです。人の前で話をするとか、ましてアジテーションをするとか、そういうこととは全く縁がないだろうと思っていたにもかかわらず、一昨年来のさまざまの情況の中で、一番話をしたくない私が、何かを発言しなければならなくなりました。国家権力というのは、概念ではわかっていたけれども、直接自分の肩にふれてくるものとしては、十分とらえていなかったにもかかわらず、逮捕されたり、起訴されたり、というかたちで、思いがけずいろんな権力の構造にふれてしまう、どうしてもそれと葛藤せざるをえない。しかし私は自分自身を造反教師とか、そういう風には決して規定したくないのです。そういう特殊な人間として闘争に関わってきたのではなくて、何か自分の生き方、とりわけ、表現の根拠というものを追求し、その追求の仕方が、闘争と関わったり、国家権力と衝突したりするのであり、そういう意味を自分自身でもっと掘り下げてゆきたいと思うし、その掘り下げ方が闘争と関わりがない膨大な人達の問題と、どこかで交差してゆくならば、それが本当の闘争の始まりであろうと考えているわけで、今日ここへ来ているのも、決して闘争者として何かを報告するというのではなく、私に対する処分を、私から遠くにいる〈私〉からとらえなおそうとして旅にでている私が、いや応なしに再び処分について提起する問題が一人一人の内部にある問題とどこかで交差することができたら、それが一番幸せなことではないかという、そういった気持で語っているのです。 [国家の法体系の根拠の全面的な暴露と解体]∽[権力による闘争の総括としての〈処分〉] ここでは、処分説明書をマス・プリしていただいているので、これを媒介にしていきたいと思います。 大学闘争の過程で、いろんな処分策動がありましたけれども、国立大学で最初に懲戒免職処分がでたのは、私が最初であり、その処分の理由というものが、十二の項目にわけられていますが、よく読めばわかる通り、決して私一人を処分したのではなく、大学闘争が提起した全ての問題を、私を媒介にして圧殺してしまおうという意図がくみとれます。いわば、権力による闘争の総括として読むことができるのです。 七十年代は強いられた総括というかたちで始まってきたと思いますが、その強いられた総括という情況をどの様に突破していくか、逆用していくか、そこにおいて私達が今後、新しい展望を開きうるか、どうかということが決められてくるように思われます。そして私の場合についていえば、私は処分を受けたということによって、今までの闘争の総括を強いられているわけですが、その事は、同時に処分をする側も闘争の総括を強いられたという二重の関係、重層性を含んでいます。つまり、裁くものが裁かれはじめ、私を処分、起訴させざるをえない情況を作り出した事によって、処分者、権力者の側も自分の矛盾を全面的に暴露せざるを得ない。だから私は被害者意識で処分されて困っているとか、或いは処分は不当だから復職させよとか、そういう言い方は決してしないのです。むしろ処分せざるを得ないような敵の論理構造、その現実的な根拠、それを典型的にひきずりだしたということが一つの勝利であるし、そして処分というものを反撃の突破口にして、全面的な、未知な闘争の突破口にしてゆく可能性をさぐる、そのような能動的なかたちで処分問題をとらえていきたいのです。また四つの項目について起訴されているのですけれども、そういった関係も転倒して、国家の法体系の根拠を、全面的に暴露し、解体してゆく新しい未知な闘争をめざしています。 では、処分説明書の十二の項目について、大学の支配者の論理を中心に批判してゆきたいと思います。 処分理由の第一は、大学秩序の維持に役立ついっさいの労働を放棄したことが、処分の理由である(こと)をのべています。よく読みますと、私が六九年二月二日に出した『情況への発言』の一部を引用して、客観性をよそおっている点を重視したいと思います。つまり、私自身が、実際にこう発言しているのだ、だから処分も仕方がないというふうな一見客観的な合理性をよそおっている。それこそが、彼等の欺瞞につながっているのです。なぜならば、私の『情況への発言』を、全文引用してそれを全面的に批判するならともかく、その内の一つの文章だけを切り取ってきて、その部分が現在の法規にふれるからといって処分の理由にする。表現をずたずたに切り刻んでその断片を処分の理由にするという、そういう表現に対する全くの盲目性というか、残酷さというものが、大学や、国家の支配者の発想の根源にあるわけで、一見合理性、客観性をよそおっている彼らの本質を、まず見抜かなければならないと思います。つまり私が労働を放棄すると発言したとしても、それに至る全ての過程、それを受けとった人間の反応、そういうものを一切捨象して、労働しない故に解雇処分といった、短絡した発想こそが、現代の社会を退廃のどん底にたたき込んでいるのです。私の『情況への発言』をお読みになった方はご存知だと思いますけれども、労働放棄の条件があるわけです。現在行なわれている闘争を媒介にして、何をいかに変革するか、それをどう持続するか、について一人一人が表現せよ、それまでは一切の労働放棄をすると。つまり、条件の方がずっと比重が重いのです。だから、そこを切断すれば労働放棄の意味が判らなくなってくるわけで、ここでは支配者の論理構造の残酷な盲目性が、はっきり現われています。ついでに言いますと、神戸大学当局は『松下問題資料集』という膨大な費用をかけた資料集を写真入りで出して、いかにも処分理由が正当であるかのような情宣を行っているのですが、その編集はきわめてずさんで、誤字、誤植がおびただしく、解説そのものも矛盾にみちている。そういうものを、国家の空間と時間、人間と費用を使って、数千部作成、配布し、処分を正当化しようとしています。それに対する我々の反撃が今後展開されていくわけですが、その場合、彼らが表現に対して、どのような態度をもっているか、どのような表現を行使するか、それが私達の敵を粉砕していく時の重要な基軸になることを指摘しておきたいと思います。 つづいて処分理由の二番目ですが、これはずい分長く書いてありますが、重点は、私が受講者全員に対して零点をつけたことにあります。私のねらいは、受講者が一人であろうと一万人であろうと、封鎖解除後の情況においては、零点を過渡的につける以外にないということでした。決定的ではなく過渡的に。だから零点をおかしいと思う学生、ないしは教師がいればいつでも公開討論に応ずる、という余地を残しています。つまり、今までは教師の方が成績判定の権利を独占していたけれども、そのような数量はきわめておかしいわけです。さらに、神戸大学の特殊事情を説明すると、私達が試験粉砕闘争を徹底的に展開したために試験そのものが行われなかったのですが、教授会は奇妙な決定をしました。今期に限って、試験もレポートも必要条件ではない。担当教官が主観的に判断して成績表に数字を記入すればそれを成績として認めると。従って教師によって、全員百点、あるいは全員八十点、全員五十点というふうに、全員χ点をつけましたが、それが教授会決定で認められたのです。全員χ点が認められている以上、χ=0を代入していいわけですから私はそのχを0と置いたにすぎない。そのことは今後の人事院の公開審理で暴露されていくだろうと思いますが、そういった自分の決定そのものの矛盾に気づかずに、何がなんでも処分していこうとする態度に、腐敗し切った大学共同体の発想を感じます。 つづいて三番目の処分理由は、昨年の二月以来教授会の欠席をつづけたということです。しかし、教授会欠席が処分の理由なのであれば、日本中のほとんど全ての大学教官が処分の対象になります。とりわけ神戸大学においては毎週機動隊に護衛されて教授会が開かれる時期が続き、そういったきわめて反革命的な教授会に、はたして出席する方がいいか、欠席する方がいいか、これは自明のことだと思うのです。私としては欠席・出席という区別ではなしに、このような教授会の開かれ方、そのものを否定するという立場から、教授会公開闘争ないし、ロックアウト体制粉砕闘争をやってきたのですが、そういう粉砕闘争こそが、本質的な出席になると思うのです。その教授会の開かれている部屋に入るか入らないかということが、出席、欠席の区分ではなくて、そのような教授会のもたれ方をどう判断するかということが、深い意味での出席、欠席になると思うのです。その意味からいうならば、私は本質的なところで出席していたと確信するのですけれども、権力者達は全てを可視的な領域で判断しますから、教授会の開かれた空間にいなかったから欠席である、というふうにごまかし通そうとするのです。 それから四番目の処分理由に移ると、入学試験に際し、教職員に対し入試事務拒否の煽動をこころみ、またビラを配布したということを上げていますが、ここには怖ろしい意味が含まれています。なぜかというと、具体的な阻止行動ではなく、煽動の表現そのものが裁かれている、つまり掲示を出す、ビラをだすということがそのまま処分理由になっているのです。近代ブルジョア法体系というものは、思想と事実を切り離しておいて、何を考えてもいいが、それを行為に移したら転位した部分を罰するのだと称しながら、実は行為だけでなく思想そのものを裁いているわけです。こういう近代ブルジョア法体系のギマンが露骨なかたちで現われています。もしこれを認めることになりますと、この処分は前例になりますから、大学の方針に反する掲示やビラを出した人間が全て処分の対象になるという怖しい応用範囲をもってくるわけです。また大学にとどまらず、さまざまの領域で展開される全ての表現が罰せられていく、そういった萌芽を秘めているのです。 つづいて五番目の処分理由は、六九年八月の封鎖解除に際して、退去命令を無視して不法占拠を続行したというもので、これもバリケードの本質そのものを追求する態度を罰しています。私は、バリケードの提起した意味を全く受けとめることなしに、ひたすら正常化のために解除をしようとする、そういう態度こそ弾劾したのですから、退去しないことが本当の人間らしい真実を求める態度であろうと思っているわけです。 処分理由の六番目は、教室を長期間占拠して授業の為の使用を妨害したというもので、私たちは六九年の二月から現在に至るまで、一〇九教室という空間を占拠して自主講座運動の拠点にしているわけです。権力は自分を脅かす言葉を使うのをいやがります。だから、自主講座という表現は一度も出てこないし、それから〈 〉という記号も一度も出てこないし、その他私のつかう表現は全部意図的にさけて、官僚達が使う管理者的な発想の用語でなんとか表現しようとします。六番目においても、正規の授業のための使用を妨害したから罰する、という表現をして、なぜ私たちがその部屋を封鎖解除後も占拠していたのかという問題、或いは六ヵ月にわたるバリケード期間中一日も欠かさず研究活動を続けたのは誰なのか、という問題を一切捨象して、要するに正常化過程で妨害したという一点にしぼって表現している。そして滑稽なことには、七〇年の三月以降逆封鎖し、現在までロックアウトをといていないので、大学側もその大教室を使えないのです。つまり、自分で授業の為の使用を妨害しているわけです。私たちはこれを「バリケードの代行」と嘲笑しているのですが、二年近いバリケードの新記録がどこまで更新されるか、毎日楽しみにしています。(笑) それから処分理由の七番目、六九年九月一日から正常化の授業が始まったのですが、正常化の授業と衝突したわけです。その時に私たちは教室を占拠して、入ってくるものを全て包括したかたちで自主講座をやろうとした。その行為を処分理由にあげ、同時に起訴させています。不法侵入、威力業務妨害という罪状をつけて。 八番目は、生物実験粉砕の問題です。普通の教室を仮に占拠した場合、教室を変更することが可能です。ところが実験室というのは設備がありますから、そこを占拠されたら部屋を変えられないわけなのです。そういう空間性に目をつけて、実験の本質的な意味を自主管理というかたちで追求したことも、処分の対象になっています。 九番目は、六九年の十月八日バリケードを構築したということですが、これも滑稽な悪意で記述しています。バリケード論を展開する過程で、力量の問題もあり正門にだけ象徴的なバリケードが構築されました。ところが、神戸大学の教養部には門がないのと同じでどこからも入れるのです。だからこの処分理由にあるような「教養部の授業の多くを中止するのやむなきに到らしめた」ということは、因果関係としてはなかったのです。にもかかわらず、そういう象徴的なバリケード封鎖を処分理由にあげているのは、やはり、行為の効果以前の思想性を裁こうとしているわけで、先ほどの四番目の処分理由と同じように、新しいファシズムといえる発想につながっていくように思います。 つづいて十番目は、試験の妨害なのですが、その一番最後の文章にこういうのがあります。「受験生の前で受験拒否をしそうする文書を板書した」、「しそう」というのは、煽動するという意味でしょうが、私の書いた言葉は、「試験を受けたい諸君、いま諸君の感じている怖れとためらいだけが、現在最も追求に価する」というものなのです。ここでも直接的な妨害行為以前の表現行為そのものが罰されている。あの時には自発的に試験を放棄した人達もでて、試験は行われなかったのですが、受験しようとする学生諸君の内部の何かを妨害した、粉砕した、ということで処分理由にするという点は重要だろうと思います。 つづいて十一番目は、これは、日付が二つに分れていて、前半は六九年の十二月三日に、はじめて私の処分が教授会の議題にあげられた時の粉砕闘争が処分理由であり、起訴の理由にもなっています。不法侵入、威力業務妨害で。後半の七〇年の四月八日は、処分を最終的に強行しようとした日です。この段階では教授会が開かれる前日から大学構内は全館立入り禁止になり、翌日の授業も中止して機動隊にだけたよりつつ処分を強行しようとしたのです。私たちは、立入り禁止空間である会議室の前にすわり込み、私を含めて四十一名が逮捕されました。この四月八日以後、闘争の各段階にさかのぼって捜査、逮捕がおこなわれその裁判闘争がこれからおこなわれようとしています。 最後の十二番目は、長々と書いてありますけれども、主要なことは、落書をして学舎を汚損したという記述です。とりわけ黒板に白ペンキで大きな落書をしたという賠償要求がなされていたのですが、このときもわざと消さないで新しい黒板に取りかえるという決定を執行部だけでおこないました。これは全部について私が書いたという立証が困難なためと、私に賠償に応じる経済的基盤がないために民事訴訟を諦めて、今度は刑事訴訟に切り替えたのです。しかも処分直後に追起訴という形でおこなっています。その起訴状の文章は傑作で、〈 〉という白ペンキの大きい記号を権力はそれをどう表現しようかといろいろ考えたらしいのです。記号のまま使うのが厭なのですね。平仮名『く』に似ていると考えたせいでしょうか、「ペンキで『く』の字型一二個を書き連ねて……器物を損壊した」と起訴状に書いてあるわけです。(笑)〈 〉の片方は確かに『く』ですけれども、もう一方は世界を転倒しない限り『く』には見えないはずなのですが……。(笑)この起訴状をご覧になればおわかりと思いますが、彼等は起訴して私を窮地に追いつめたつもりかもしれませんが、逆なのです。つまり、法=国家がこの〈 〉という記号を公然と論じざるをえない情況を自ら作りだしてしまったのです。私たちは、非常に楽しい裁判を展開するつもりです。 [表現の根拠とは何か][情況を包囲する情念]∽[近代市民社会の全ての問題の問い直し] 以上十二の理由を簡単に説明しましたけれども、私個人が罰せられたというのではなく、全ての大学の闘争が提起した問題を総体的に圧殺しようとする動きの比喩ないし集約として、この処分があるのだ、ということがおわかり頂けると思います。もう一つ大事なことは、私のやってきた行為が決してこの十二の項目に限定されるものではないということです。私は彼等がこのように総括しうる程度の表現行為をやってきたのでは全くないのです。 かりに、果物があるとしますと、その果物の一番外側をうすく切り取って、二次元にしておいてこれが彼の行為の全てだ、といっている気がしてなりません。なぜそうするかといえば、果物の中心部を切り取る、ないしは果物をそのまま差し出すということをやれば、彼等の表現の根拠が全て崩壊してしまうからなのです。だから権力者の論理で切り取れる部分をとにかく切り取って、そしてそれを処分の法規とひっかけて、何がなんでも私を大学から排除してしまおうとする、そういう意図がありありと読みとれます。 次にいわなければならないのは処分説明書という紙切れが私の前に送られてくる過程の問題です。私達の前にはさまざまの紙切れがあります。新聞とかビラとか紙幣とかメモとか。ところが、それぞれの紙切れが持つ意味、とりわけ現実的にもっている意味というのは私の全生活過程を圧殺していきます。その圧殺の仕方から、私たちの周囲に群がるさまざまな死語や表現の階級性というものに、気づかざるをえません。 このような問題は、大学の闘争で最も明白にあばきだされてきており、それは、九大新聞に以前のせられたビラ「〈八月〉闘争の〈事実性〉」からもよみとれるはずです。もし私のやった事の意味を本当に評価したいのであれば、闘争に参加した全ての人間たちが平等の決定権をもって、私の行為、思想性というものを議論し、解明していくという作業が不可欠であるにもかかわらず、それをやれば命取りになるので一握りの人間たちが、処分を強行する。とりわけ、真理を追求するというたてまえをもっているはずの大学において、そういう欺瞞が行われていることは、その欺瞞が重層されていくことになります。かれら管理者たちが「なりふりかまわず処分するのだ」と本音をいえば、まだ一重の欺瞞だと思います。「私たちは思想的には敗北したけれども、かれを処分しないのでは生きていけないから処分する」というのであれば、まだ筋が通っている。ところが法律とか秩序とか自由とか真理、そういう擬製の幻想を持ち出して処分して、欺瞞を相乗しているということが、大学闘争(の処分過程)だと思います。 ここで私のビラ「〈八月〉闘争の〈事実性〉」について説明しておきたいと思います。最初は七月の末に、「処分審査説明書」というものが送られてきたわけです。そして、「十四日以内に反論をさせてやる」という条件をつけていました。私としては、学生、教員、労働者、市民などとの討論を重ねた結果、反論をする機会は最大限逆用するという方針を決めて条件を出しました。公開ということと、闘争に参加した全ての人間が参加する、その他幾つかありますけれども、要するに先程述べたようなギマンを公開し、解体していくことが根本にあったわけです。かれらの時間、空間、決定権の支配を切り崩しながら。ところで、処分者側は次のように考えていました。私が評議会側の非公開、単独出席、その他の条件に腹を立てて出席しないのが一番有難いわけです。出席しなければ、反論の権利を放棄したということで処分の決定書をすぐ作成できますから。さらに、かれらは、「事実についてだけ反論せよ。それ以外の反論をすればその瞬間に権利放棄とみなす」という条件を出したのですが、私は「事実性とは何か」という反論だけを、文体、構成批判を媒介としておこないました。つまり、「それはやりました。」「それはやりません。」という反論は一切しなかった。なぜかというと、「それはやりました。」「それはやりません。」というのは、権力の論理の水準であり、権力の設定した事実性の枠内であれかこれかと論ずることは、彼らの術中におちこむことになるからです。八月における私たちの自主講座のテーマは事実性の追求ということでした。そうすると権力側は非常なジレンマに陥りました。もし私の要求を無視しますと事実に対する追求の努力を中断したのは自分たちだということになってしまう。そして、私の要求を認めたら処分できなくなってしまう。そういうジレンマに陥って、八月中に処分したかった彼等はついに二ヵ月も奇妙な沈黙をしいられたのです。この処分決定の説明書がでたのは、十月十六日なのですが事実性の追求をなに一つ本質的には開始しないでこういう文書を死体のように投げ出しています。 いま私たちの当面しているのは決して、一つの処分とか個別のスローガンの解決だけではないということで、むしろそれを媒介にして、現代社会の、また現代に生きる人間の一切の問題が問われているのだということです。だから大学によって何項目要求とかいうスローガンが違ったと思いますが、それは単なるきっかけにすぎないのであって、それを徹底的に追求してゆくならば一切の問題にゆきつく、そういう不思議な怖るべき闘争であると思います。これがいわゆる階級闘争論をこえる新しい意味ではないかと思っています。また時間的なサイクルにしても、六十年代、七十年代といういい方がありますけれども、そういう十年毎のサイクルではなくて、三ケタのサイクル、つまりルネッサンス以降といいますか、近代市民社会の全ての問題が問い直されたというふうに私は思っています。そういうふうにとらえないと私たちの行く手にある問題の根源になかなかたどりつけない、例えばビラを一つとってみても、ビラを始めて作る人はわかると思いますけれども、印刷機ができてきた段階を自分でもう一度かいくぐっているわけです。それからアジテーション、落書、その他一切の表現の問題も、近代市民社会で提起されたさまざまの課題を、もう一度大学闘争のなかでくり返しているのだと思います。それが現在の階級闘争のさまざまの課題と合致しつつ、全国学園闘争といわれるような問題として吹き上げてきたのです。また人間の発想の総体をもう一度問い直し、自己にとって本質的な闘争の方法をみつけていこうとする、そういう必要性がそれぞれの闘争参加者にわかりつつあると思います。自己のかかえる問題をどのように未来の未知なる闘争へ持続、拡大していくかということは、問題が世界性を帯びていればこそ、逆にその置かれた条件によって全部違うと思います。だから私の今までやってきたことがそのままそっくり誰か他の人に応用できるとは思っていません。単なる現象的な模倣ではなくて、私の提起してきた問題を、その人の拠点、条件、自己史というふうな過程をかいくぐった上で自分の表現としてうちだしたときに始めて真の生命をもってくると思っています。そのことを述べた上で、私が何を追求してきたかということをごく簡単にまとめてみれば、中心テーマの一つは、「表現の根拠とは何か」ということです。大学闘争は、この表現にかかわる問題が最も豊富な闘争であるというふうにいえると思います。教授会公開を考えてみても、教授会でかわされている言葉の意味を全構成員に拡大せよという要求、またその決定権を平等にせよという要求もでてくるし、また、先に語ったように、私を処分する資料集を権力構造にのみこまれている人間たちが公けの仕事としてやっていることのギマンにも行きつくわけです。教職員がビラを全部集めたり、ゼロックスにとったり、コピーして文部省に送ったり、そういうことは公務としてやっているわけですが、それが自分たちの存在の可能性を絞殺していることに気付かないのです。それに対して自分で金を出して紙を買って、なれない手付きでビラを一枚かくという意味は大きいと思います。一枚の資料、一つの発言に至るまでそれの経てきた過程というのは正反対になりうるわけです。それから、大学をのみこんでいる国家権力の表現の問題にしても、私が学内で逮捕された時に、大学の管理者はどういったかというと、逮捕令状が出ている以上、問題は大学の範囲を越えていると。たしかに逮捕令状そのものは大学から出たものではない。しかし逮捕令状の事実性は大学の中で私が行った行為に対してなのです。さらに重大なことは、逮捕令状の根拠というのは教授会メンバーが警察とか検察当局にでかけて行って供述をしており、その結果にもとづいて、私や学生諸君に逮捕令状が出されました。このような国家権力との完全な癒着が神戸大学において見事に暴露されたわけです。大学の当局者は論理的に対決したら負けるものだから、逮捕令状、起訴状を使って私を圧殺し、殆んど全ての教師がそれを黙認するという状態になっています。 私の問題として「表現の根拠」といいましたが、今まであげてきた紙切れからさえも、私たちがどうしても対決せざるを得ない表現の問題、今までうっかり見過ごしていたにもかかわらず、さけられない問題が私の前につきつけられてくる。その過程に含まれた問題を逆にたどって行くならば、現代の全ての矛盾に行きついてしまう。そしてそれは決して特定の私という人間に起っているのではなくて、実は全ての人がそのような情況の中に生きており、しかもそれが真理の追求を前提とする大学においてもっともひどいかたちで暴露されてきたという欺瞞性は、いくら強調してもしすぎることはないと思います。ただ念のために言うと、私が表現と言う場合、それは決して文字とか声とかに限定しているわけではないのです。そうではなくて人間の幻想性を媒介にした全ての運動というふうに一応規定しますと、情念、行為も含む。また家庭とか、さまざまの組織、さらに国家や法の体系までを含んでくるのです。つまり、表現という概念によって単に紙切れだけでなしに国家まで包囲させようとしているのです。さいごに一つ付けたしますと、旅行中に今まで殆んど読んだことのない「現代詩手帳」をかって偶然広げて読んでいると、佐々木幹郎という詩人が「今年の詩の作品で一番面白いのは、松下昇が黒板に書いた落書である」と書いています。落書を詩として読んでくれる人がいるのだということを嬉しく思うと同時に、十二月二十四日、つまりクリスマス・イブに私の落書に関する裁判が始まるのを思い出し、表現行為が正反対の評価を受けているのを非常に面白く思いました。 くりかえしますが、私は処分を受け、起訴されたということを決して被害者意識でとらえていません。むしろ私の方は、それを永続闘争として、彼らを追求してゆく本質的に楽しい闘争の出発としてとらえています。ただ、その楽しさというのは未だかってなかった情況の中に踏み込みつつあるという怖しさ、心細さというものと表裏一体をなしていますけれども、しかし目に見えないかたちでさまざまの共闘者がいるはずだと思うし、九州においても「RADIX」という雑誌なり、あるいは「九州大学新聞」なりで、私の問題へそれぞれの立場から自分の問題としてくださるのを非常に有難いと思っています。 それでは、私の表現のいたらなさを今後の闘争過程の中で止揚していくことを約束しつつ、ひとまず報告をおわりたいと思います。 |