私の自主講座運動

1969年12月 東京都立大学解放学校での発言(あんかるわ《深夜版》2松下昇表現集等に転載

 詩というものが無数の表現方法をとるように、闘争にも無数の方法があると思いますから、私も自分の軌跡について、ひとまず報告しておきたいと思います。
 ここへやってきたのは、さきほど菅谷君もいったように、たんに報告するとか、講演をするためではありません。菅谷君はもともと、神戸大学で一緒にドイツ語を教えていた仲間です。数年前から我々をとりまく情況をなんとかして突破しなければならないと考え、そのために、我々は様々な目にみえない闘争をすでに開始していたのです。いま、場所的に離れているけれども、私のやっている自主講座運動と菅谷君のやっている解放学校とがいわば〈 〉のように情況を包囲する形で現実化しようとしています。そういう時にあたって、私自身も六十年代に自分がやってきた事を総括する意味をこめて、今日、ここへやってきたわけです。

 私(たち)の運動の特徴を六つの項目にまとめてみました。
 一番目は、二月二日に私が出した「情況への発言」に示されていますけれども、大学闘争における表現の階級性粉砕を主要な根拠にしています。例えば、権力を持っている者の表現と持たない者との表現とは、文字として、あるいは声として同じであっても、それが現実に持つ意味については全く違ってきます。そして闘争の契機自体よりも、闘争過程において各人が表現にたいして持っている責任を追究する形で、闘争が持続しているわけです。具体的には、この問題について全ての人が私に対してこたえるまで、大学の秩序に役立つ労働を放棄するという形で授業や試験やその他一切の旧秩序維持の労働を拒否しているわけですけれども、同時に、単純な拒否でなく、自分の出来る範囲で攻撃的に粉砕してゆこうと考えました。大学によってそれぞれ条件は違うと思うけれども、我々の場合には、自主講座運動がいわゆる全共闘運動を包囲している形で展開されており、また単に闘争者がやっている運動というよりは、この運動にかかわる人間がたとえ我々が敵対する場合でも、自主講座運動に無意識にも参加しているのだという確認を前提としています。たとえば、我々の自主講座に大学当局や民青や、さらには機動隊がやってくる場合も、彼らを平等な参加者とみなして運動を続行してきました。

 二番目は、創造(想像)的なバリケードです。全国的に目に見えるバリケードが撤去されている段階において、本当のバリケードの意味はこれから、追求され始めるであろうと思います。そのための条件として、目に見えるバリケードの中に何を、いかに形成してきたかということがあります。神戸大学の場合でいうと、大学措置法成立後、もっとも早くバリケードが解除されましたけれども、バリケード形成以前から一貫して自主講座運動を続けていたために、解除されたということがそれ程打撃にならなかったのです。そればかりか、最後までバリケードで徹底的に活動したのは自主講座運動であったし、またその後の授業再開、試験強行にたいしてもっとも戦闘的に反撃したのは、我々の運動でした。
 我々が活動する空間がそのままバリケードになってしまう。例えば、この教室を授業で使うとしますと、ここを占拠して、自分達の問題提起をおこなう。別にロッカーとか、机で封鎖しなくても、我々の存在がそのままバリケードに転化していく。しかも、移動可能なわけですから、いたるところに出没して、ゲリラ的にバリケードを運動させていくわけです。これは不可視の領域へまで拡大していくべきだと思います。

 三番目は、我々の自主講座運動のテーマはどういうものか、ということです。これは明確に定義をするのは不可能だと思うのです。むしろ、不可能である様な運動を目ざしているのです。まず、明確な規定をして、これこれに近づこうという風な運動論はもはや破産したと思います。我々が創り出しうる最も深い情況に我々自身が存在すること、そのことによって引き寄せられて来る一切のテーマが自主講座運動のテーマであるし、その時やって来る全ての人間が自主講座運動の参加者になるわけです。だから、毎日、過渡的なテーマはかかげておくけれども、そのテーマどおりに進行するかどうかは分からないわけです。テーマをかかげることによって、そのまわりに変化が起ります。そして様々な力関係でこの部屋ならこの部屋に問題が殺到してきます。反論や退去命令や機動隊導入など。その様な変化がそれ自身、持続的体系的な自主講座のテーマに合流するのです。そこにはじめて、学ぶことの怖しさが何重にも予感されてきます。いまのところ初期にくらべて、目に見える意識的な参加者はおそらくここにおられる人数よりも少ない場合が多いと思います。しかし、目に見える参加者が多いとか少ないとかいうことをそれ程、気にしないで良いと思うのです。少なくとも二人いれば、永続出来るという確信がありますから。

 四番目は、いわゆる全共闘運動が崩壊した、ないしは危機的状況にあるといわれています。これは確かにそういう面もあるとは思いますけれども、私は全共闘運動という概念そのものを飛躍させる時期に来ている、飛躍させうる人にとっては決して崩壊してはいないし、今やまさに始まろうとしている段階だと思います。全共闘運動という概念は、自分にとって必然的な課題と、情況にとって必然的な課題とを対等の条件で共闘させるということではないでしょうか。従って、何かを粉砕するとか、打倒するとかはそれだけでは、スローガンになり得ないのです。必ず、それと対等な自分のスローガン、自分だけの言葉によるスローガン、それがうまく表現できるかどうかは別として、そういう自分のスローガンを対等に結合させえない限り、決して或るスローガンを荷いきることは出来ないし、まして命をかけることは出来ないだろうと思います。
 私にとっては、それは、ご承知の方もあるかと思いますけれども、いくつかの作品、たとえば、〈包囲〉とか、〈六甲〉とか、そういった作品を本当に時=空間の中に生かしていく、そういう作業が別の面で大学闘争に参加しているといえるに過ぎないのであって、決して私は、大学闘争が正しいからやっているのでもなければ、学生諸君が正しいから支持するのでもないのです。そのような方向性を持続化することが、ある意味では大学闘争にもなり、それをこえていくという関係だろうと思います。

 五番目は、これは一年におよぶ闘争過程でつくづく感じたのですけれども、報復とはなにか、復讐とはなにかという問題です。目の前でたくさんの全共闘の学生諸君が血を流す。これはもちろん本当に許せないことです。しかし同時に、それと一見関係ない場面でにこやかに会議をしている、あるいは仮病を使って家で寝ている、あるいは海外に留学と称して逃亡している、そういう一見流血と関係のない、政治性とも関係のないような場にいる人間の存在形態が最終的に血をあふれ出させるにすぎないのです。ですから、私自身の感じる憎悪は、単に流された血を見て感じるのではなく、それを生みだした諸関係総体に、皆の目が向けられないということに対する憎悪なのです。単純に、なぐられたからなぐるとか、殺されたから殺す、そういう関係だけでは決して本当の報復は出来ないのです。むしろ、それらと一見無関係な場所で行なわれている惨劇に目を向けないかぎり、決して真の報復は出来ないだろうと思うのです。まさにそういう関係が大学という空間で最も象徴的な形で展開されているにすぎないのです。大学という空間はこの社会において、もっとも幻想的な空間であろうと思います。たとえば工場労働者が労働を拒否するといえば、すぐ解雇処分になるでしょう。ところが、大学の場合は現に私自身がそうであるように一年近くたっても、まだ処分するかどうかでもめている。それは普通のブルジョア社会の空間で行なわれている現象よりも非常にゆっくりと、スローモーションのフィルムを見るように、きわめて緩慢に展開されることを示しています。ある意味では恵まれているともいえますけれども、別の意味でいうならば、人間の幻想性の運動が最も詳細に歴史的な問題をえぐり出しつつ展開されてくるのです。つまり、人間にとって知識とはなにか、文化とはなにか、そういった一切の問いが個々の階級的存在に対して、大学闘争を契機として問われているのです。だから、それをただ単純に階級闘争の前段階であるとか、あるいは安保闘争と結合すべき課題であるという水準で捉えるならば、決して大学闘争は捉えきれないと思います。大学という言葉に、記号〈 〉をつけて〈階級闘争がもっとも幻想的に展開される空間〉という風によみかえない限り、決して大学闘争は捉えきれないと思います。ですから、私自身は大学にいるときは大学でその問題を追求しているにすぎないのです。家庭にいようと、工場にいようと、どこにいようと、幻想性を媒介にした問題は我々すべてにとって既成の概念や行動では捉えきれない危機的な状態に達していると思いますから、大学闘争の課題は実は全ての人間が現在つき当っている課題を、最も拡大して、最も深刻にえぐりとっているにすぎないのです。そういった特殊な条件を徹底的にとらえ直さないかぎり、大学闘争の真の生命力をすててしまうことになると思います。
 報復ということから少し離れましたけれども、報復は最終的には一行の詩を書かせることではないかと或るとき、ふっと思ったのです。相手をなぐることでもなければ、殺すことでもない。或る情況に原罪性をもってかかわっている全ての人達が一行の詩をかかざるを得ない様な現実的条件を作りだす、それが本当の報復になるであろうと思います。だから団交にせよ、ゲバルトにせよ、それらは一行のまだ表現されない詩へ向かっての行為であるし、あらねばならないのです。そうでないようなゲバルトはおそらく自分自身にはね返って、マイナスの面しかもたないだろうと思います。

 六番目の問題は、一番目の問題とかかわってくるわけですが、我々が打倒しなければならないのは、決して体制だけではないし、機構だけではないということです。それと同時に、我々自身の表現の根拠、我々自身が表現するときの根拠をも含めて変革しないかぎり、何一つ始まらないだろうし、それは古い形の階級闘争に還元されてしまうと思います。いいかえると、闘争過程において自分がどのような言葉をつくり出したか、どのような言葉にひかれて、それをになってきたかという問題です。常に人の言葉で戦い、人の言葉で死ぬということは、本当に戦うこと、死ぬことになり得ないと思います。ですから、先程もいいましたように、情況にとって最も必然的なスローガンと同時に、自分にとって最も必然的なスローガンを作り出さないかぎり、本当には戦えないし、戦いを永続化できないでしょう。ということは、自分をそのように表現させる世界の根拠を、自分が叫び声をたてざるを得ない根拠というものを徹底的に追求することであって、それは政治という領域をはるかに超えた行為だと思うのです。そして、それこそが真の政治性のはじまりでしょう。

 私がいや応なしにとらえ、同時につきうごかされているいくつかのテーマのうち三つのものについて語っておきます。
 最初のテーマは表現の階級性という問題です。一つの文章、一つの言葉があるとして、それがどこで表現されたかによって、全く意味を変えてしまいます。たとえば、教授会の中でAという発言がなされるとします。言葉としてはまったく同じであるにかかわらず、それが現実過程において持つ意味は決定的にちがいます。それは階級闘争の問題であると同時に、言葉の本質にかかわる問題でもあるわけです。このことは沈黙についても言えます。教授会の中で決して発言しない、あるいは団交で追求されても決して発言しない、責任追求されても決して発言しない、そのような沈黙が問題である場合、意味はゼロかというとやはりそうではないわけです。沈黙もそれなりの階級性をおびてしまうのです。これは階級性という言葉ではおおいつくせない、むしろ原罪性というべき問題だろうと思うのですが、そういう問題が本質的に提起されたのは大学闘争においてだろうと思うし、この点をはっきりさせておかないと、我々の語る言葉は全て死んでしまうと思います。

 二番目は空間性に関する問題ですが、これは闘争の過程にしたがって多少、変化してきます。最初の段階では、権力を持たない者は空間を持つことができるという形で提起しました。そういうテーゼによって、我々のバリケードが開始されました。その次の段階は、バリケード空間とはなにか、つまりバリケードという概念をどこまで飛躍させるのかという問いです。物理的封鎖がバリケードそのものではない。むしろ、我々の置かれた本質的な断絶の一つの断面が封鎖であるにすぎない。我々がこんなにも断絶していたのだ、こんなにも階級性の中に置かれて来たのだ、ということの影にすぎないと思うのです。とすれば、バリケードというものは決して大学だけに存在するものでなくて、家庭の中にもあるし、人間関係のなかにもあるし、国家という国境をもつバリケードもあるし、〈 〉という記号としてもあるし、その他無数に存在しうるのです。つまり、無数に〈バリケード〉が存在しうることを明らかにしたのが、目に見えるバリケードにすぎない。バリケードが解除されてもなお、運動が存続しうるとすれば、そのような不可視のバリケードをとらえた度合だけ、運動は存続すると思うのです。ですから、封鎖解除された瞬間にがっかりするならば、恥じるべきだと思います。むしろその瞬間から自分にとってのバリケードの意味が問われ始める。自分にとっての闘争が開始されるのです。それをどこまで荷って続けるかということは未踏の情況における一人一人の問題であるけれども、それを荷って行けないならば、実は今まで何も戦って来なかったのだということになると思います。我々の模索の一つの応用例としていうならば、これぐらいの教室を占拠し、六ヶ月以上、毎日毎日、日曜日も含めて、自主講座運動を展開して来たし、ゲリラ的に様々な教室、或る場合には街頭や風景に、出没して、体制側にとっては全く手のつけられないような存在になっているわけです。我々はその事を理想的な形だと決して思っているわけではありません。むしろ、自分でマンガ的な行為だなと思い、笑いながらやっているのです。闘争には笑いが不可欠な要素だろうと思うし、最もよく笑った者が大学闘争の勝利者ではないかと、此頃、思うのです。決して、深刻な、不機嫌な顔をしてやるものではなくて、いわば大学祭を永続化しうる力量だけが闘争を支えていくのだと思います。

 三番目テーマというのは、連続性の問題です。これは具体的には十二月三日、神戸大学の教授会が私の処分を検討しはじめた日、我々自主講座実行委員会は会議室へ突入し、一人一人を徹底的に追求しました。それ以後、教授会は開かれていませんが、いつ学内で、機動隊に守られて、私の処分を強行するか分らないのです。したがって、その時間も、場所も、議題も不確定になった教授会というものにたいして、我々は常に準備していなくてはなりません。つまり、今までは闘争というものには日付があったわけです。何月何日には、これこれがあるから結集せよ、闘争方針もそれから逆規定されて、こうしようという形で、闘争が組まれました。しかし、もはやそういう段階は終ったと思うのです。不確定な連続闘争の時代が始まったのです。これは大学闘争に限らず、一切の政治闘争、階級闘争についてもそうだけれども、日付の闘争というものはもはや終ったと思います。日付をこえた連続闘争に真の意味で武装して行かないかぎり、敗北は決定的でしょう。この場合、武装というのは単に軍事的な武装ではなく、闘争の本質をいかに引き出し得るか、闘争をいかに飛躍させ得るか、という暴力的な問いかけです。だから、今連続性を日付を超えるという表現で語ったけれども、それは同時に今までの闘争の枠をはみだす、最終的には闘争という概念をすらはみだすという意味での連続性をさしています。大学闘争は決して大学だけに止まるものでなく、全階級的な問題にひろがっていくだろうし、個人の生活の二十四時間をおおっていくだろう。決してバリケードに入ったときとか、デモに行ったときだけが闘争ではなく、二十四時間をおおいつくす連続闘争になるだろうと思います。そうではなく、あるときには闘争し、あるときには眠る。その眠りが夢の組織論から切り離された眠りであってはならないと思います。なお、ここでいう夢は、睡眠というよりは、私の表現でいうと、〈情況から最も遠い夢〉を志向しているのです。
 三つのテーマ、即ち、階級性、空間性、連続性について、舌たらずにしゃべりましたが、三つとも全部、〈性〉がついており、なにかセックスに関係があるかもしれないなあと思ったりするのですが(笑)、それは今後の追求課題の一つとして残しておきます。