「とくに準備の不備は、ぼくたちの多彩な思考と行動が、一条の強烈な白色光として結集して相手を照らしだす以前の段階、なお分離したままの段階にとどまりがちだったことの、ひとつの原因でもあったでしょう。このために参加者に、必要以上の疲労が生じてきてしまったかと思います。 参加することの責任のはたしかたーそのはたしかたの多様性が、〈代理人〉内部のくいちがいの域を脱しえず、もともとはたしがたいものの意識が、そこからあらためて増幅されてきている。そういう状態が、その疲労と重なっています。 いずれにしろぼくたちが、つぎの段階へむけての内部討論を必要としていることは確かでしょう。しかしこの報告は、遅れただけでなく、十分なかたちのものになっていません。審理の録音テープや「白夜通信」、「メタ」、「岡山救援通信」にすでに見られる総括によって、欠を補っていただくよう、編集担当者は希望します。」 |
第一回口頭審理以後、再三の審理〈再開〉請求を人事院は無視し続けたが、東京地裁をも巻き込んで展開される松下の〈n〉事闘争の渦中、〈10年〉をはさんだ1982年1月、神戸での審理を再開せざるをえなくなる。
◎神戸人事院・第一回口頭審理・報告
1七月一九日
冒頭松下氏から、二度にわけて人事院にだされた申入書五項目の確認とその実現を改めて要請。(前3項については、本「通信」七号二七頁。追加の二項目とは、B一〇九闘争に関連して、大学側より告訴、逮捕された学生上原君を代理人として出席可能にすること。教授会・評議会の「処分問題」審議に関しての、議事録とテープの公開。)それにたいし、公平委員会は、審理の進行に伴い、必要とみとめられれば、諸証人にたいする陳述の要求や資料の提出を求めることもありうる。と、あくまでも留保的な可能性を示すのみで、「手続の場において公平であり、かつ公平な判断を下すために必要な資料を集めるのがこの審理の目的である」という、政治家なみの答弁に終始。
この審理は、昨年十一月一六日に松下氏から人事院に請求された。人事院からの「補正」の指示により、同年十二月二一日改めて「処分に対する不服の理由が出されている。(何れも本「通信」五号参照)その凡そ七ヶ月の時間をどのようにとらえるか。その間人事院では、今年四月一四日に漸くこの件に関する委員会が設置され、四月一九日、松下氏の「不服の理由」について大学側に答弁書提出を要求。大学側からは六月一〇日「答弁書」提出(本「通信」七号二八頁)注意すべきは、人事院からの提出期限が五月三一日までとあったのにたいし、大学当局は、五月一〇日の段階で「提出延期」を申出ている。
「いったいどのような理由で、しかも二〇日間を経過した時点で、そうした延期の申請がなされたのか」(折原代理人)
「松下氏の出された『不服の理由』の諸項目には、充分に理解できないところがありましたので・・・・」(山田代理者=学長の代理)
あるいはそれが本心であったかもしれない。つまり、処分者は、処分の理由そのものが自分たち自身充分理解できないままに処分を行っているのだ。一斉に起る非難と怒りの声に狼狽する山田代理者へ、後方座席より紙片が手渡される。
「さきほど申しましたのは、私の記憶の誤りで、当方から出しました延期申請書には、『・・・・の諸会議のため関係職員の繁忙のため』となっております」(山田)との説明に、審理場は一層紛糾。⎯大学側の処分理由からこの答弁書へつながる問題意識は、その諸文書に明らかである。後者についてみるのみでも、その事実歪曲の意図は明瞭なのだ。彼らがつねに口にする「事実の認定」がその歪曲そのものなのだ。(大学当局は、このタイプ印刷で僅か一頁の「答弁書作製」に、いったいどのような手順をふんだのか、一聞に価する)他方、処分をうけた松下氏は、みずからの生活の場はもとより、その主張する、表現の場まで奪われ、さらに、大学当局者の証言を経て官憲の手に自由を拘束されているのだ。
この、非人間性は、さらにみずからを顕在化させずにはおかない。曰く、「答弁延期申請は本件審理とは直接の関係がありません。速やかに実質審理に入られるよう求めます。」(俵代理人・弁護士)このなんとも形容のしようもない、権力への密着の発想。しかし、私は、この憐れむべき愚かさを批判するよりは、次の引用をしよう。
「ここには、法律学の専門家が法学部長をも含めて三名もおられますのに、なお弁護士を代理人に加えられた、処分者側の真意に大きな疑問を抱くものです。」(折原)
この指摘をうらづけるように、無言のまま席についている二十数名の処分者側代理人。次々と順を争うように発言を求める請求者側との対比。これらを眼前にみることのできた人々にとっては、この第一日目の僅かの事実(それこそ事実なのだ)をもってしても、この〈処分〉の実態は明らかになった筈だ。
学長の不在。上原君の出席要求。そして、関係諸議事録の全面的公開の要求は、ここでその必然性が示しつくされている。
大学とは、にも拘わらず、みずからの暗黒を白日のもとにさらしえない存在なのであろうか。大学の教師とは、にも拘わらず、みずからの立場を堂々と表明しえないものなのであろうか。もし、「……にも拘わらず」がやはり事実であるのなら、それこそは権力の支配そのものに他ならない。
(脇 坂 豊)
2
七月二十日(第二日)
松下に専売特許のようなコトバとキゴウがある。「事実性」であり、「事実の重層構造」であり、それになお有名な〈……〉である。字面だけなら哲学の専門家にはさしてこと新しいわけではない。ははあん松下はハイデガーを読んだか、フッサールを読んだか、いずれにせよそのあたりから拝借したにきまっている、と。だが松下がそこにこめた思いいれは斬新で、だからこそ大学当局、そして今度は人事院公平委員会を撹乱し、戸惑わせ、醜態を演じさせる。だがまた松下はかれらの茶番劇を遠みに眺めてたのしもうとするのでもない。かれらの了解不可能な領域を逍遥して優越の思いにひたろうとするのでもない。むしろ逆だ。かれはコトバやキゴウをひっさげて、かれらが単なる処理手続の対象に矮小化してしまっている事実、民事、刑事、人事というように無理矢理に鋳造してしまった、あの事実に対抗して、
〈事実〉の豊穣さ、重層性を回復させようとする。かれらの論理では〈事実〉に立止まることが没却されている。〈事実〉の重層性、あるいは〈事実性〉をこの論理にぶつけることによって、かれは大学当局、公平委員会の論理を立往生させると確信している。その意味でかれは最も卓越した現象学者だ。だが学者以上だ。
松下は自分の思想が先に確然としており、行為やそれの生み出す事実が思想をなぞりつつ客観化するものだなどと思ってはいない。〈事実〉は予期しなかった事態をひきおこす。〈行為〉や〈事実〉は思想の従属物でもなければ、それの延長物でもない。〈事実〉とは思想によってとりしきれないものだ。だから松下は自分とともに闘う者に行動の枠をはめたりしない。それが無意味であること、もっと正確にいえばそうすることによって〈行動〉、〈事実〉の豊穣性をまで奪ってしまうことを知っているからだ。ある意味で、だからたった今までの思想では処理しきれないという点では、〈事実〉は公平委員会にとっても松下にとっても同じである。ちがうのは、公平委員会は既成の処理の論理でこの〈事実〉を抹殺しようとするし、松下はこの〈事実〉の重層性に立止ろうとする。
思想によって〈事実〉をとりしきれないことを認めるからといって、松下は行動のレセフエールを語るのではない。行動や事実はすでに行われたとりかえしのつかないものであることを、かれは知っている。だから一日目の処分者側主席代理人山田氏のように、前言をひるがえして謝るだけではすまされないことをかれは知っている。謝ることによっては、事実の〈事実性〉は消えることができないのだ。謝罪が効力をもつのは、ひとつの過ちによってはくつがえされることのない権力を有するものか、その軍門に降ったものかである。松下はいずれでもない。かれは〈事実〉に対して責任をもつのだ。どういうふうに。〈事実〉をかすめすぎるのではなく、〈事実〉への眼を離さないというふうに。
かれは〈事実〉を正当化しようとするのでもない。〈事実〉は有無をいわせずかれ、そして代理人たる三〇名のぼくらの前に存在するのだ。ぼくらは、判断の正邪を含めてその〈事実〉を一切ひきうけるというのだ。処分者側の大学当局も、〈公平〉を同語反復的に礼讃する公平委員会も、正当化に憂身をやつすかぎり、権力行使の暫定性を免れえないのだ。それらのことどもを公平委員長足立氏の「審理打切り」という宣言を聞きつつ思った。だが、それはあとにまわそう。
具体的に順を追って語ることにしよう。相変らず処分者側の出席は二九名。ただし今日は前列と後列が入れかわり、教養部関係の教官が前列に配置されている。おそらく処分理由の説明のためにかれらが招き出されたのであろう。一〇時定刻に開会。
昨日もそうだった。処分者側の山田主席代理人の横と後に、ひとりずつおかかえ弁護士が控えている。横に坐ってたちまわる弁護士俵某はもっぱら発言の要がないことを、また処分問題と直接関係ないことを、発言を要請されるたびに公平委員長におおむがえしする役であり、後の弁護士は、もっぱら山田主席代理人の裾をひっぱっては、「しゃべってはいかん」とかれの善意的発言を未然に封じる役柄である。そのほかに現法学部長、前法学部長を含めて法学部関係三名の教授が審理に主席している。この布置、人選自体、大学当局が表現行為を封殺するためにみずから選んだものであり、松下処分の意図を透視させている。
昨日かれらは大学当局の名のもとで匿名性にかくれて策動していた。だからぼくら請求者側は名前を名のることを要求したのだ。昨日公平委員長はそれを拒否した。だが今朝になって自己紹介を要請する。つまり公平委員長の心がわりは許されるわけだ。公平委員長はこの審理会場において、〈公平性〉という名をかたる独裁者である。
だがそれも黙過しよう。とにかく〈自己紹介〉によって、ぼくらは大学処分者側の身分がわかったのだから。だがそのときでもかれらはあいかわらず匿名のままだ。名のられた名の実質性はたちまち薄れ、あとにはただ虚ろに〈大学当局〉、〈大学当局〉と響いてくる。それも当然だ。ふたりの弁護士への弁護料はおそらく大学当局の公費から賄われているだろうし、大学教授連も近所の短大に控所を設営して、公務として出席しているのだから。だから〈自己紹介〉ではかれらはむしろそのことを公表すればよいのだ。〈自己紹介〉は名を名のるだけが能ではない。どういう立場でどういう志でこの席に出頭しているのか、それを明らかにすることが第一である。請求者側の自己紹介はそのように進められた。大学側に直前告訴されて、審理会場出頭を〈阻止〉された上原君の代理人が登場した。かれは志、立場を明らかにしつつ〈上原〉を現前させようとしてそう名のったのである。だがもうひとりの〈松下昇〉が登場したとき、事態は一層ドラスティックに展開した。公平委員長には〈……〉の意味がわからない。かれはこの〈松下昇〉に改名を要求し、それがうけいれられないとわかると退場を強要した。ただ皮肉にも、神戸大教養部に松下昇講師がふたりいるかと問われたとき、湯浅教養部長はこう答えた。「白日のもとに松下昇はひとりしかいない。だが影は存在する。」〈松下昇〉がひとつの実在以上の拡がりをもつことを、最当事者湯浅氏は肌で感じておられるのだろう。公平委員長はこの真理に眼をつむり、一時休憩を宣言しました。
午後は一時一〇分に再開した。公平委員長は松下事件を審理し処理するために、もっといえば審理したという事実を上積みにして公平委員会の〈公平性〉の面目を保とうとする。だからかれらの〈公平性〉のなんたるかを問われるとき、かれは激怒する。昨日もそうであった。二日目になるともっとそうだ。かれは遮二無二〈実質審議〉に入ろうとする。だが〈実質審議〉を担える公平委員会か否か、請求者側は五つの条件への確答を要求した。その確答はない。だが、多くの〈松下昇〉の追及の前に公平委員長は「必要に応じて」という遁辞的条件づきででも五条件を認めなければならぬ羽目になり、さらに「どういう事態のとき必要だと認定するのか、その判断の基準を示せ」と追及される。かれの答弁は、意識的か理解不足か、〈松下昇〉たちのさまざまな質問追及に対して同じ回答をおおむがえしする。
かれはあきらかにあせり、公平委員会の論理に審理会場をひきもどすための逆転だけを願っていたのだ。そのときメモがまわされ、傍聴席にパンを食べているものがいることにかれは気づいた。かれは飢えた狼のごとく、この機会を逃さなかった。審理指揮にしたがわないというお題目で、一挙に〈審理打切り〉を宣言したのだ。この暴君ぶり。
それにくらべてパンを食べた少女の発言は真底感動的だった。「パンを食べたという事実とその事実が生み出した〈審理打切り〉という意味との間には言語を絶する隔絶がある。私は事実を謝罪したくない。だがこの隔絶を一生かけても総括してゆきたい。」
打切り宣言は二時半だった。そのあとぼくら三〇名以上の〈松下〉たちが公平委員会に打切りの非をひざづめ談判することによって、漸く翌々日の審理再開をかちとったのだ。
(金 田 晉)
3
二十一日(第三日)
前日パンによる審理打ち切りになったことから人事院闘争は別の局面に入りこんだ。パンはそれが出現した時点では予期されなかったハプニング(偶然)だった。だが、公平性、事実性の問をめぐる公平委ー処分者側との基本的な対決の帰結として「この公開審理はそのような本質的な問の追及の場ではない」と公平委員長が〝宣言〟したのと同時にパンが出現したのだ。自分が参加したこの公開審理の時空間が不可視であること、参加の〝感触〟の不在、いや、自分がこの地上に現存するいまが対象化されない、対象化の手がかりさえもつかめないという〝沈黙〟、これらのいらだちをその発想の肉体的な直接性で〝即物的〟に無言表現したものとしてのパンの出現。〝パンをたべるという基本的な日常的行為の正当性〟、このようないい方がされたりしたがこれではまったく意味がないし、馬鹿げたことになってしまう。日常性とはパンもないことである。もっと重く〝救い〟がない。幸いこの三日目にパンを食べた本人(清水さん)によって配られたビラのなかには次のように書いてあった、〝言葉を強いられるという幻想的な裁き(人事院審理)の中で、私や多くの人々もまだ、手ごたえの不確定さの故に沈黙せざるを得なかった。その沈黙の苛立ちが、ヤジやパンを食べる行為へと表現を強いたのかも知れない。〟私の感じではパンの出現は公平委ー処分者側との対決のほんの導入部の出来事であり時宜を得なかったのである。真の矛盾が引き出されるに先立ったハプニング。それは〝幼さ〟(〝存在としての幼さ〟の意味だが)からの短絡(一つの笑い)である。むろん、こういっただけでは審理の時空間の〝感触〟を肉体の暗い生存深部(大いなる笑い)でつかむわけにはいかない。端的にいって人事院審理は〝どうでもいい〟のである。〝どうでもよくない〟のは人事院闘争が人事院審理とはまるで別な時間位相で私たちの生活過程そのもののなかを進行する生活時間に深く根ざしてしまっているということだ。各参加者がどのような生活過程からここに参加して来ているかが自らに問われる去ろう。人事院闘争の有無にかかわりなく私たちがすでに参加させられてしまっている不可視の共同性の参加構造(現体制の厚い支配の壁をすかして見えるテクノロジーー大衆の解放構造)こそ大事である。すべては自らへ向って逆流し渦巻いている。報復されるのはまず自分だ。こういった人事院闘争の位置づけは昨年八月の私たち岡山での人事院闘争の場合とまったく同じことである。
三日目は一二時頃神戸大学館ロビーに集合。私が到着したとき松下氏はすでに到着していた参加者たちともの静かに閑談していた。正一二時、公平委員会に電話、〝その後の経過はどうですか〟という松下氏の問いかけに対して〝明日午前一〇時、会場の準備をして待っている。神戸大当局と完全に連絡がとれ次第追ってまた連絡する〟という返事。
これは驚いた。公平委員長の思惑はどういうものか。しかし、このへんに関する私の感想は紙数の制限上省略する。
一時過ぎ、学館第三集会室に集合。参加者二〇数名。開けた窓から神戸の海の夏風がさわやかに吹き込んでくる。まず、松下氏よりパンによる打ち切り、その後の公平委相手の追及集会の総括を含め明日以後の予想のために一一日、一八日両日の予備集会の討論からの継続という形で事実性、あるいは、事実のもつ重層性の問を基調テーマにしての討論提起があり、処分者、被処分者の双方から出されている膨大な資料、特に神大教養部広報第二二・二五号に即して処分者側の〝表現性〟を媒介に事実性ー重層性をどう捉えてゆくかの問。主として処分過程の曖昧さ、特に調査委員会の性格の不明朗さ、調査委員会の報告書に対しては賛成も反対もあるまいに〝圧倒的多数の賛成を得て、教授会は調査委員会の報告書を承認した〟(広報二二号二九頁)などという、〝表現のみだれ〟のなかに処分の真の発想また、時間経過を事実求明してゆくのだが、これは一日目、二日目の審理において事実性追求の一つの軸であった学長不在の求釈明のなかで出された〝処分説明書等の作成者はだれか〟ということとの関連においてである。
三時ごろ、大きなスイカのカンパで休憩。討論再開にあたり再び松下氏よりこれまでの経過の総括を含め明日以後の予想をこめて教養部現場検証への誘いを含めた事実の重層性の問の討論提起があり特に不服の理由ー答弁書ー反論書におけるA・B・Cの各項目間の構造的把握を基軸とした事実の重層性対象化のための視覚拡大の重要性が強調された。だが、これをきっかけとしてそれまであまり発言のなかった学生諸君や若い参加者の間から人事院闘争に参加した自分の内的位置づけの問を中心とした発言がつづき再び感触不在のいらだたしさがさまざまなことばを通して現われ討論は拡散した。私が記したメモから若干引用しておこう。〝おれと松下さんの違いと共感の検証を権力の前にさらけ出す(敵前分裂)ことでしかこの人事院闘争には係われない〟(橋本君)、〝人事院闘争は昨年の岡山のときもそうだが教官の特権であり、ぼくらからみたら天国闘争だ。しかし、ここに含まれた幻想過程は共有しうるのではないか〟(金本君)、〝パンで消えていったものの方が多いと思うが、打ち切りになったことはどうでもいいことだ。参加した各人の問題性はそれぞれ違う。松下氏の代理人なのではなく、松下氏がそこでやろうとしていること、共有した状況の代理人であり、五年、一〇年の未来時間を射程におくのでなければ人事院闘争に係わっても意味がない。失語状況の自己検証の場としたい〟(村尾君)、〝幻想性の粉砕過程になるかもしれない、各人のつながりのないままにやるしかない〟(今田君)、〝六八ー六九の闘争を共有したものたちの出あいだ、松下さんを媒介とするしかない松下さんへのくやしさ、自分を設定しえないいらだち〟(古川君)。
四時半過ぎ、教養部現場検証の〝散歩〟へ出発。歩いた道順はバリケード正門のあった地点から〈 〉広場、教養部会議室、B109教室、松下研究室、LL教室、化学教室。ロックアウトされている松下研究室のドアやその周辺の落書きだけは消さずにそのまま〝大事な物的証拠〟として大学当局の手で保管されており〝国(債権者)の使用中。何人もみだりに使用してはならない〟といった仮処分決定の公示のはり紙(七一年四月八日、神大学長名)がさも意味ありげにはりつけてある。人間が生きる時空間を〝無人に荒廃させている〟のが国の使用である。
現場検証の〝散歩〟から帰ったところで七時頃公平委員長から〝大学当局側から明日以降の審理に出席を承諾する旨回答があった〟という奇妙な内容の電話連絡があり、同時に〝明日の審理はまず公平委員長より処分説明書に関する不明の点を処分者側に求釈明し、それについで請求人側からも求釈明を出してもらいたい〟と申し入れてきた。
事実の重層性の問に関してはその問題提起者である松下氏の〝対象化されていない無名の発想〟をめぐって討論が十分に展開したのではなかったが、というよりは、その問として置かれた無数の問題への不可視の方向性、無形の波紋が広がろうとする遠い音といったものが大事だ。松下氏を媒介軸として互いの異質な生活時間を生きるものたちの内部から私たちがすでに置かれ参加させられてしまった共有の状況へ〝参加してゆく〟ためにこそ各人の異質な生活時間が交錯するそんな〝他人の媒介性〟をこそ自らの問としたい。私は〝松下さんを媒介とするくやしさ〟(古川君の青春時間の願いとして分からぬのではないが)どころか、松下氏の媒介性も含めて他人の媒介性をこそ共同性構築のための真にリアルな地上の人間拠点として問いたいのだ。重層性は無数の媒介の総括であるだろうし、刑事ー民事ー人事の重層性を越えて人間の共同生存のリアルな諸根拠を包括しているものとしてこそ個々の現象以上にリアルである。岡山における昨年の人事院闘争のときと同じく、ここでもまた支援という発想は状況それ自身の問の重みとして始めから粉砕されている。〝なぜ代理人なのか〟という問も各人が松下氏を自分とは別の異質な生活時間を生きる他人として〝他人の媒介性〟一般の問として自らの生活時間のうちの生活内在的な共同性の根源視点から見すえているならばたいした問題とはなり得ない。
権力闘争こそなにをおいても第一義だと考える〝革命幻想〟(既成の市民的ブルジョア階級理論)こそ真底から粉砕されよ。どんな理論にも汲みつくせない生きられた生活時間の〝なにものによっても決して捨象されることのない総和〟そのものにおいて他人へつながらないもの、つながろうと欲望しないものを信用することはできない。生活過程そのもののなかに不可避的にやって来る矛盾(=悪)のさなかでこそ、そこで生きられた情念の度合に応じて私たちはたしかに互いに異質な別の生活時間を生きる他人である自分たちを非情(リアル)にも発見してこの狂気・沈黙・孤立の第一歩から出発する。〝権力からもっともかけ離れた地平からの同時的出立〟(松下氏の文章でもある)、ここに松下昇という一人の生き身の人間が私たちと同じように状況の不可視の共有領域で〝孤立〟のままに見え隠れしている。しかも〝孤立〟さえも人間の根源的共同存在の共有の前提なしには起こりえない。
私たちはいま支援とか救援ということとはまったく別の生存の時間位相にいるはずだ。互いに他人であることの相互媒介性において人間の共同生存の透視しがたい濃密さ(〝救い〟のなさ)の方へ互いに浸透してゆくそんな各人の自分への接近のし方をこそたずねたい。普遍を媒介とするのではなく、(普遍を媒介とする発想は支配権力の発想だ)互いに他人であることから、自己証言さえも成立しえない個の〝宿命〟から始める以外に自分の突破口もまたなくなってしまったようにエゴ(欲望)が位置づけさせられてしまった私たちの状況のエゴ根源性(=自己粉砕)の相互媒介性にこそすでに共有された大きな無名のエゴ(共同性)が私たち自身の内部で拡大してゆく、そんな〝参加〟の生活時間構造を知りたい。
私たちのあいだの互いの〝呼びかけ〟と〝応答〟とを真に交叉させる無数の他人回転軸ー他人の媒介性がつくり出す求心力と遠心力の相互作用のものとして人事院闘争もまた不可視の深部(濃密さ)へ向かって一かたまりの熱となって集中しつつどこまでも拡散して冷却し温度と形を失う。
この日、討論は事実の重層性という巨大なテーマをめぐって確かな形をとらないままに拡散した。翌日の具体的な対策が戦術討議されたのではない。〝審理再開〟のことはまるでどうでもいいような具合だったという気がする。そこで出された学問論、大学論、法律論、闘争形態の多様性などの問題も断片的なままでかみ合わずすでに無方に散乱してしまったままであった。だが、こういった散乱のなかに松下氏によって何度も何度も繰りかえし提起された事実の重層性というテーマの発想のなかに広がる彼の無形の生活情念もまた象徴される。宿舎の門限の時間的制約から八時過ぎ三日目は一まず解散した。
(萩 原 勝)
4
二十二日(第四日)
第二日目の公平委員会の一方的中断の後、一日の〈休憩〉をはさんで審理が再開されることになった。
午前一〇時の審理開始前に行った請求者側代理人の討論で、松下氏は「上原君や学長が出席しない限り審理会場に出席しない。」又、「今までいつも私が最初に発言したり、行動して来た意味をもう一度考えなおして、気楽になりたい。」と今日の取り組みを明らかにした。この松下氏の発言に、第二日目の公平委員長の一方的中断と今日の再開に対する松下氏の気持が表われているといえよう。その後、討論中に人事院が打合わせをしたいと申し入れて来て、三名の代理人が打合わせに参加した。
その三名の報告では、まず公平委員長は松下氏が打合わせに来ない理由を代理人にたずね、松下氏でないと話ができないと言い出した。大学側はこの公平委員長の態度に乗じて「これでは話にならない、つきあいきれん」といい残して退席した。公平委員長は「大学側がいないから、何か都合があるのなら大学側のいない今言って欲しい」といかにも請求者に理解のあるような態度を見せた。結局、公平委員長は「再開に当って確認した二条件(注)を再度確認したいので松下氏に聞いて来て欲しい。」と言って打合せを中断した。
この報告に対して請求者側で討議をした結果、言葉の意味は別として二条件は確認し、他に条件があれば再度討議することにして再交渉に代理人が出かけた。
公平委員長が会議中のため、しばらく待たされてから再交渉が始り、公平委員長は「第二日目の審理打切りの中止としてではなく、新しく審理を始めるということで二条件を守るなら始める」と発言して、あくまでも一方的審理打切りを請求者側が認めることを要求した。おまけに大学側は公平委員長に「二条件を審理再開冒頭に確認し、請求者側が公平委員長の指揮に従わない場合はしかるべき処置をとるように」と発言して、暗に審理を再度打切るように要求した。
このような経過で午後からやっと審理が再開された。公平委員長は冒頭、松下氏が出席していないので単なる手続きの〈公平〉を守るために書記官に松下氏が出席する意志があるか否かを問いに行かせた。その結果、松下氏が出席する意志がないのを知ると、別にそれ自体は問題にしないで、「請求者代理人が出席していれば審理は成立します」と言って審理を開始した。公平委員長は大学側の要求通り、まず二条件を確認し、実質審理に入ることを宣した。しかし請求者側代理人は「松下氏は控室でいつでも出席できるように待っているが、上原君及び学長は同じ状態なのか」と質問したが、大学側弁護士は「再開条件に反する」と反論し、公平委員長は「それは主張段階でして欲しい」と一方的にルールに従うことのみを要求した。この問題で対立が続き、いきおい余った大学側弁護士が公平委員長の許可なしに発言し、その事を請求者側が追求すると、大学側の旗色が悪いと見てとった公平委員長は休憩にもちこんで大学側を救った。
休憩後、公平委員長は「処分過程の審理に入る」と言って、休憩前の問題を無視して大学側に説明を求めた。大学側は「松下処分は教養部教授会の決定をうけて評議会が決定した。くわしい資料は必要な時に提出する」と言ったが、その資料には神戸大学教養部広報すら含まれていない。つまり、松下氏の処分の途中で他大学から疑問をもって神戸大学に抗議をした人々には、わざわざ神戸大学教養部広報を送って処分の正当性を主張しておきながら、いざ公平審理になると「教養部広報は資料ではない」といいのがれるのである。また、松下氏の処分に際して作られた「調査委員会」なるものが、果たしていかなる人間で構成され、どういう事柄をどのようにして調査し、それらをどのように判断したかについては秘密にしたまま処分を決定し、審理においても必要があれば明らかにするとして大学側は答弁をごまかした。このように公平委員長の予定通り実質審理に入ってしまい、松下氏の不在、学長の不在、上原君の不在など実質審理に入る以前に解決されなければならない問題に対する追求が弱まった事について、請求者側代理人の間にこのまま進んで良いのかという疑問が生じて来た。
二回目の休憩に入り請求者側控室ではこの疑問が討議され結論の出ないまま休憩が終わろうとしていた。この時大学側控室では一つの事件が起っており、このために大学側は休憩の延長を要求した。つまり、それまで請求者側代理人であった I君が、「私は神戸大学の学生であり、今の状況で神戸大学の学生であることは松下氏を処分した者になる」として処分者=大学側の控室に入ったのである。大学側は彼の言う〈処分の意味〉が判るわけもなく、最初は肉体的に彼を追い出そうとし、それが不可能と知るや、次は知らん顔をしてしまったそうである。
四時半頃に審理が再開され、あいかわらず処分過程の説明が続けられた。その時請求者側代理人の S氏が「私は神戸大学教養部の助手で松下氏の処分過程を良く知っており、それを話したいが、話した場合に教授会の秘密をもらしたことで処分されないか」とたずねたのに対し、公平委員長は「公務上の秘密をもらせばたしかに公務員法にふれるから、それに注意し、覚悟の上で発言して欲しい。もう少し法律を調べて見ます。」と答えるのみで、S氏の質問を理解できずに第四回目の審理を終了した。このS氏の質問は単なる法解釈の問題ではなくて、公平委員会の公平性、つまり公平委員会の存在自体の問題であるのに、そのことに公平委員長は気付かなかったようである。
審理終了後の総括討論で、実質審理に入ってしまった問題、松下氏不在の問題などをめぐって討議が続き結論の出ないまま、〈松下昇〉審理から〈 〉審理に変った公平審理はいよいよあと一日を残すことになった。
(滝 本)
(注)公平審理再開の為の条件として公平委員会の出したもので、①ルールを守る、②実質審理をする、の二つである。
5
第四日(補足)
再開に先だち、公平委員長(以下「公」)は、審理指揮に従うこと、事実審理にすぐはいること、の確約をもとめてくる。このため審理再開は午後まで延びる。松下氏はこの日、控室にいて会場には出なかった。公および大学の、審理にのぞむ姿勢への、抗議の表現。代理人各自への問いかけも、そこにはふくまれていよう。再開した審理では、出席した代理人たちによる相即不離の二つの追求方向ーひとつは、教授会審議も議決も調査主体もあいまいな処分過程の具体的追究、もうひとつは、この審理の席上そのものに再現されている処分者の論理構造・存在構造の批判ーが、交互に進行した。以下、メモから抜きがきしておく。
公 処分者(以下「処」)から、答弁書への補足があれば、補足を。
処(山田) ありません。
古川 処は、松下氏が退席していることの重みを考え、自分がそこに坐っている理由を明らかにしろ。
処(俵) 公の指揮に従え。
脇坂 指揮もないうちからそんな発言は不当だ。
公 古川氏の発言は「主張」の機会にしてほしい。
古川 あの弁護士は何を「弁護」しようとしているのか。「ツキアイできている」やつ(俵弁護士)がここにいることは、許せないことだ。
処(俵) いまの発言は本案と関係がない。
処(大竹) 右に同じ。
橋本 当局のアアダコウダという態度は、過去も現在も同一だ。この現在を問うこと、これがまさに本案の審議になる。
小川 広報二五号三九ページに、大学は審理にのぞむ態度を麗々しく書いている。それとこの場での態度との矛盾ーそこから、古川、橋本代理人の発言も出てくる。
公 それは「主張」だ。
中岡 古川代理人の訴えが処につうぜず、処はただ審理をすすめるという。公は「事実」にはいれというが、この断絶がまさに神戸大学にある事実なのだ。このことを事実として感覚する能力が公にあるか。この断絶を事実として感覚して真摯に行動した人間が処分されたのだ。
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公 処分の具体的な手続きを。
処(山田) 慣行として所属教授会の議を尊重して、評議会が決定する。
処(湯浅) 四五・一八と三・二五のC教授会で、松下講師問題調査委が発足。事実調査をすることを教授会決定。四・一五に委の報告を受け、C教授会規定第六条にもとづき懲戒処分決定。四・一六学長具申。
公 調査委の構成は?
処(湯浅) 委員選任は私に委嘱された。人数も人名も、ある時期まで公表しない、と教授会決定されている。
浅野 この場でも人名、構成をいえない。ここに神大当局の陰惨さが現われている。公は公表を要請せよ。
処(湯浅) 脅迫状や脅迫的なラクガキがあったからだ。
脇坂 調査委の調査の目的は何だったか。
処(湯浅) 事実調査だ。
脇坂 広報によると、授業時間割編成のための判断根拠となる資料をあつめる、となっている。その通りか。
折原 あわせて、広報に誤りがあるかないか、明らかにせよ。
処(加納) 神大広報はいずれ資料として提出するが、C広報は出さない。C広報は評議会審議の材料でなかったから。
讃岐田 C広報はしかし、民事裁判には疎明資料として提出されているではないか。ーうかがいたいが、私が教授会の議事内容をここで公表するばあい、私は処分対象になるのか。
池田 C広報の重要性。四五年九月の湯浅の、各大学教員への手紙は、広報をもって処分を正当づけようとしている。
脇坂 C広報二二号二八ページ以下では、調査委は時間割編成のためのものだ。その調査結果が、ところが四・一五には即日、処分問題に流用されている。
処(湯浅) 広報二二号は八・八発行で、評議会審議の資料にならなかった。
処(大竹) 評議会はCとは独立に調査した。
野村彰 C調査委が現在の問題なのだ。
処(俵) 手続き上、調査委のあるなしは関係ない。 脇坂 C教授会の審議・決定ぬきで、評議会は問題をとりあげることがあるか。
公 法律的にはありうるが。
脇坂 慣行からしてありえない。
小川 調査委は、処分のためであれば、発足を教授会決定できなかったのではないか。
処(湯浅) 調査委の発端はたしかに時間割問題だった。途中で、がぜん、変った。
公 休憩する。
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讃岐田 先程の私の質問への答えを。
公 国公法で職務上の秘密は洩らせぬことになっている。強いて発言禁止もできないが。
讃岐田 私が教授会の審議過程を語ると規則にひっかかる。というのでは、私の発言は封じられてしまう。湯浅氏は教授会で知りえた事実を語っても罰せられない。これでは差別ではないか。私は、調査委の結成過程のメモを出したいのだが。
公 機密にかかわる、かかわらぬは、当該所属機関の長がきめる。
讃岐田 学長ではないか。それが処分者席にいて、公正な審議ができるのか。
小川 必要があれば教授会の録音テープをとりよせる、と公はいっていた。録音テープを公開せよ。
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二十三日(第五日)
請求者側控室に、朝、つぎの二枚の紙片がおかれていた。
別紙を応用できると考える〈請求者〉は、私や公平委員会や 処分者を含む審理会場で討議の対象にして下さい。 〈私〉は、これから、第六日の審理会場へ出かけます。 一九七一・七・二三 松 下 昇 ……御中 |
公開審理第五日は 全ての代理人を一時的に解任します。 一九七一年・七・二三 松 下 昇 人事院公平委員会御中 |
坂本 請求者です。求釈明を行ないます。
公 公による求釈明のあとでして下さい。
坂本 私が請求者だと執拗にいうのは、何ものかによって本審理を強いられているからだ。処は現在的存在についての求釈明がなされると沈黙する、ということが初日来、いや岡山来、ある。また公はすでに岡山で、求釈明は文書で行なえ、と逃げた上、私の求釈明一八五項目を勝手に九項目に切り縮めて。公平性の破産を露呈した。処と公の事実性・公平性・存在性について現在的に追究しつつ、求釈明を行なう。
公 だからそれはあとで。
坂本 求釈明。公にたいしても求釈明だ。
公 手続きの段階が違う。
坂本 事実という言葉にたいしての公の解釈への求釈明。本案の事実審理にはいる、という公の存在そのものへの求釈明。(傍聴席最前列へ移動、沈黙)
公 傍聴席からの発言は許しませんから。・・・・こちらへ来て発言して下さい。
坂本 默否します。(沈黙)
公 では発言許可をとりけす。
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公 坂本代理人、ぢっと手をあげておられるが、何か発言があるのですか。・・・・傍聴席からでも許可します。・・・・手をあげたのは、発言したいという意志表示では、なかったのですか。・・・・委員会としても合議するので、休憩。
ヤジ 発言中だぞ!
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野村彰 午前中坂本氏から処・公への求釈明があった。が、それはわれわれ代理人にも向けられていた。だから私もここで意見を述べたい。求釈明は沈黙だった。それは松下氏の闘争の意味をよく表出していた。私は、私が松下氏の代理人でありうるか、という問いの重荷に耐えきれない。私は代理人として破産した。傍聴席へ移るが、そのまえに、沈黙の求釈明の意味を解せぬ者は今回の審理に加わる資格がない、という意味で、処も公も私と一緒に傍聴席へ移ってほしい。たまたま職業として弁護士だとか教授だとか人事院職員だとか〜だ、ということでは、この審理を行なう資格はない。(傍聴席へ移る)
山本 医学部でおこった事実について、釈明をもとめる。
公 求釈明はこちらでする。
山本 読みます。項目二。お憶えでございましょう、その日のことを。(読む)「岡医学部部長事務取扱に対する大衆団交強要、医学部教授会流会およびそれに続く医学部長室占拠に関する行為・・・・」
公 それはこの事案のなかのどれか。
山本 評議会が送ってきたものだから、評議会は知っているでしょう。
処(山田) 神大医学部に岡医学部長問いうひとはいない。
山本 徳島大医学部におこった事件について申しあげています。徳島大と神戸大で起こったことにどう違いがあるか。教授たちの顔はそっくりだ。こんにち教授であることの恥ずかしさ、を知らない。あなたたちは交換可能だ。
公 発言を禁止。神大と徳大の処分者は別だ。
山本 同じだ。
公 発言をやめて下さい。
讃岐田 松下さんからのものかと思う紙片がまいこんできているが。
公 渡して下さい。
讃岐田 ここに落ちています。
公 私からみると松下氏の筆跡で・・・・
ヤジ どうしてわかる!
公 あなたがたはもう代理人ではないわけだから・・・・
(請求者側の発言つづく。紙片は讃岐田氏の手許に戻る。山本さんは、あらためて先程の審査説明書の朗読を続ける。その声のなかを、公・処は急ぎ退場。一時四五分。)
(野 村 修)