1970年4月8日の松下昇。処分を強行しようとする教授会会議室前で学生ら四十名と共に逮捕された。 ◎松下昇原始資料
松下の表現は、権力や共闘者に向けたビラ・落書き・アピール・申立・レジュメ・書簡〜といった多彩な形式で、生活と闘争の基底から豊かに溢れ出たけれども、机上で自由に発想〜執筆したものを既成の出版過程にゆだねるという方法はあえて選ばなかった。もちろん既成の領域で他者が開示する表現を軽視していたのではなく、人類が言葉を持って以来の〈現在〉的批評の原点を模索しながら、表現の契機や表現を規定する関係性の運動にこそ非人称の〈主体〉を感受し、タンポポの綿毛が情況の風に乗って舞い立つように対応表現を相互に交換したいと願ったのである。 ○獄中から〜へ
1984年12月17日から1985年4月30日まで、松下は東京拘置所と大阪拘置所を交互に移監されるという特殊な獄中状態に在った。東京高裁での人事院審理再開請求(第一次訴訟)を巡る民事控訴審の法廷における表現行為が、共同訴訟参加の女性ともども制裁かつ刑事告訴の対象とされ、一方、大阪高裁では、神戸大学闘争刑事訴訟の控訴審が大詰めを迎えており、東京と大阪双方の公判廷への出頭が権力側からも要請されたのである。 ○日本キリスト教団総会へ
1984年12月17日から続く東西両都市での〈 〉獄をかすかに予感しつつ、松下はその約一月前の11月12日に箱根で開かれた日本キリスト教団第23回総会に〈傍聴者〉という扱いで出席した。体調はギリギリまで切迫の度を深めていたけれども、教団教師検定問題で紛糾する中異例の発言も行なった。前後数日間の経過を詳細に記したレジュメは透徹した抒情にあふれた必見の資料である。 ○{3.24公判}第3回〜第15回・証人尋問調書等の抜粋
1986年3月24日に大阪高裁民事法廷で発生した「公務執行妨害事件」に関して、検察側証人のうち書記官と法廷警備責任者の証人尋問調書、被告側証人五名の尋問調書及び関連資料から抜粋して掲載する。これらは第3回〜第15回の公判過程におけるうわずみ部分であり、既刊パンフ「{3.24}証言集上・下」で展開されている巨大なテーマ性のごく部分的な参考資料である。 ○〈熊本版〉正本ドイツ語の本をめぐる断面
〜1981年〜熊本における自主ゼミで「正本ドイツ語の本」をめぐって交わされた応答の一部である。松下昇の提起は表現闘争の〈10〉年性を踏まえた忌憚のない提起であったが、本質領域をくぐる展開の〈過酷さ〉に対して芽生えた担当教師や参加者の忌避感の壁は厚く、「発刊委からの註」などの案も応用されるにいたらなかった。その後の経過は松下が懸念したとうりの展開をたどることになる。 ○〈山浦元〜松下昇〉往復書簡(一部別人の書簡を含む)
山浦元氏は、科学技術の原理論的位置にある物理学研究者として反原発運動の重要な一翼を担いつつ、東海大学の教師として後進の指導に当たっていた。また、関東学院大学の河村隆二氏の裁判をはじめ大学闘争における被処分教官の救援闘争を底部で担い支えた(「救援通信最終号」参照)。松下昇亡き後は遺言に対応する〜刊行委の一人として関連資料の包括作業を持続する一方、昭和歌謡・ジャズ・クラシックと幅広く音楽を愛し、気に入った曲をダビングして落ち込みがちな共闘者にプレゼントしてくれた。舌癌という病を経ても滑舌爽やかで聞き取りやすい声とそれにふさわしい清廉な筆跡が印象深い。気迫のこもった音信がずっと届いていたのだが……。 ○小説「黙」(高尾和宜原作)関連
1986年3月24日に大阪高裁で発生した事件を題材とする小説「黙」は、その事件に関わった各主体の来歴と〈未歴〉の捉え返しにとって貴重な契機を提供した。松下昇は、関係者による検証を提起し、或る事件を引き起こした関係性の力学そのものが原作者個人の私的作業を超えた作品化の主体であるような情況を作り出す〈共同表現論〉に飛翔させようと試みた。その発想から省みた時、恐ろしいことに、一つの事件と言えども〈大学〉闘争の展開課程総体が引き寄せられることになり、総体から切り取って関連資料とするのは不可能であることに思い至る。ここに掲載するのは可視的な作品本体と関連するやり取りの極少部分に過ぎない。 |